2009/04/11

高齢者と運転免許

  運転免許証をとって45年、未だに車が手放せないのは、日々の買い物と二人の病院通いが理由である。

 家内のお伴をしてウィークデーのスーパーマーケットに行く。牛乳、ヨーグルト、豆腐、肉、冷凍食品、野菜等々、結構目方が張る。これにコメでも買えば女性一人の体力では持ち運びは不可能だ。

 年をとれば身体のあちこちに故障が起こってくる。よく冗談に言う「病気のデパート」症状となる。整形外科、眼科、歯科、そしてもちろん内科も、それも消化器科、循環器科などなど。どこの病院も駐車場は車で溢れている。

 そんなわけで、経済的には大きな「金食い虫」の車ではあるがやはり日頃の便利さから車が手放せない。

 一方、高齢者による運転事故が多発しているようだ。70歳以上のドライバーには、免許更新に際して高齢者講習が義務付けられており、75歳以上の者には、認知症チェックも付加されるとのこと。金も時間もかかる。高齢者にとっては、車の運転はますます歓迎されざる時代になってくるようだ。

 そんなことを考えながらも、今日も車で出かけていく日々である。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/

 

2009/01/23

心のふるさと(2)ー山ノ上

 昭和16年を境に改定された文部省検定小学校国語教科書に共通して掲載されている(小學国語読本・巻二とヨミカタ・二)短文(詩)がある。題名は「山ノ上」。

 頂に松の木が生えている緑の山の挿絵が懐かしい。ふるさと京都嵯峨野から眺める西山の姿に似ている。

 詩に描かれた風景を、家からすぐ近くに見える西山になぞらえていた。麓に有名な松尾大社や西芳寺を抱く山々である。 

 子供心に、西山の向こう側には、まだ見たこともない青い大海原が広がっているものと想像していた。実際には海があるはずもなく、丹波高原の山々や畑が広がってるにすぎなかったのであるが。

 なにしろ、小学校六年生の時に兵庫県須磨に海水浴に行くまでは、一度も海を見たことが無かったのである。したがって海は幼少時の憧れであった。

 60年後の今でも、京都駅に降り立つと昔と変わらない風景が迎えてくれる。まず西山(松尾山)の稜線を確かめる。故郷の山はありがたきかな。そして実際には有りもしない背後の大海原を想像してしまうのである。

山ノ上

    Img041_13 ムカフ ノ 山 ニ ノボッタラ、山 ノ ムカフ ハ 村 ダッタ。 タンボ ノ ツ  ヅク 村 ダッタ。

                                                                     Img042_2                                              

  ツヅク タンボ ノ ソノ サキハ、ヒロイ ヒロイ ウミ ダッタ。青イ、青イ ウミ ダッタ。

 小サイ シラホ ガ 二ツ 三ツ、青イ ウミ ニ ウイテ ヰタ。 トホクノ ハウ ニ ウイテ ヰタ。

(向こうの山に登ったら、山の向こうは村だった。たんぼの続く村だった。続くたんぼのその先は、ひろいひろい海だった。青い、青い海だった。小さい白帆が二つ三つ青い海に浮いていた。遠くのほうに浮いていた。)

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2009/01/11

心のふるさとー長い道

 昭和18年4月に国民学校(現在の小学校)2年生に進級した。最近ふとしたことから当時の国語の教科書を入手した。タイトルは「よみかた・三」。発行者は文部省(もんぶしゃう)。

 66年前のその内容の一部が今でも鮮明に記憶に残っていることを発見した。その一つが、ここに紹介する短文(詩)である。全文をほぼ完璧に諳んじていた。

長い道

 どこまで 行っても、長い道。 夕日が赤い、森の上。

 どこまで 行っても、長い道。 ごうんとお寺のかねがなる。

 どこまで 行っても、長い道。 もうかえろうよ日がくれる。

 挿絵の風景は、夕日が沈みはじめた遠くの森を背景に、手をつないだ三人の子供が野中の一本道を帰り急ぐ姿。Img034

 たったこれだけの短い文章であるが、当時自分が暮らしていた京都市郊外の風景に重なって、なぜか心に残るものとなった。当時は子供心にもそんな心象風景を求めて歩き回ったものであった。

 「兎追う」べき山こそ無かったものの、付近の小川にはこぶなはもちろん、ドジョウ、蛙、水生昆虫などがたくさんいて、毎日の生活を楽しませてくれたものだ。

 半世紀以上たった今、さすがに実家のある一郭は昭和初期の風景をほぼ留めてはいるものの、時折たずねる故郷はミニ開発の対象となり、小さな森や竹薮も姿を消して、新興住宅地としてすっかり変貌してしまった。それでも、古都の嵯峨野は日本の他地域と比較するとき、昔の景観がよく保存されていると言えるだろう。

 世代は異なっても、大人の日本人が持つ故郷の心象風景はだいたいこのようなものではないか。 さて、現代っ子が成長した時の「心のふるさと」はどんなものか。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/