2010/06/30

講談社の絵本

 講談社・野間記念館で近代の歴史画と「講談社の絵本展」を開催している。横山大観、中村岳陵、山口蓬春、安田靫彦、小林古径など、近代の著名な日本画家による歴史画などはやや意外性もあり、昭和初期の「講談社の絵本」で親しまれた童話の挿絵(原画)の数々も大変懐かしく、暫時幼い日々の昔に戻ることができる。

Img232_2 原画「かちかち山」より

開催期間は7月19日(月・祝日)まで、月・火曜日は休館、入館料:一般500円

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/

2010/05/22

田舎暮らしか、都会暮らしか

 東京国立近代美術館へ立ち寄って好きな作品を見てきた。 

 東京国立近代美術館へは、ちょくちょく立ち寄る。おもしろそうな特別企画展があれば、もちろんそちらも観るのだが、そうでなければ大抵はシニア(65歳以上)が無料扱いとなる常設展(館所蔵作品展)だけを見て回る。

 永年なじみの作品がいくつかある。それらの作品に再会するとなぜか心が和む。よく管理された静かな環境の中、好きな時に好きな作品に出会えることは、都会に住むことの捨てがたい利点であると最近つくづく思うようになった。

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エロシェンコ氏の像・ 中村彝

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南風・和田三造

 定年退職後8年ばかり、東京から房総半島を約120キロ南に下る外房海岸に暮らしてみた。 広い敷地でのガーデニング、野菜作り、豊富な海山の幸など、海と山と田園地帯に囲まれた田舎暮らしは、それなりに楽しめたものの、やはり都会が持つ種々のアメニティに関しては大きな機会損失を被ることを痛感した。

 美術展、音楽会、映画・演劇鑑賞など、都会には圧倒的に多いその他の文化的イベントとのかかわりが極端に困難になってしまった。都会では無料のイベントも多いのだが、一寸した外出でも一日仕事になってしまう。もちろん交通費も馬鹿にならない。結局、田舎暮らしは8年で切り上げて、同じ千葉県の八千代市に住むことになった。

 開発途上にあるとはいえ、周辺に残された里山や野畑の風景は其処ここに残っており、毎日のウオーキングの眼を存分に楽しませてくれる。地下鉄乗り入れで都心の日本橋までは乗り換えなしで40分余り、大手町、銀座、赤坂あたりも1時間弱の射程内である。医療機関も選択に事欠くことはない。

 リタイアー後どこに住むかは、その人のライフスタイルや価値観によることは言うまでもない。田舎に住みながら必要に応じて都会に出かける、都会に住みながら時には田舎に出かけていく、あるいは中間点をとって両方を満足させるか、すべて個人次第である。

 *本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

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2010/05/01

早稲田大学今昔(2) - フクちゃんのみた創立75周年

   早稲田大学は三年前(2007年)に創立125周年の記念行事をおこなった。その半世紀前の創立75周年の時には三年生に在籍していた。昭和32年(1957年)のことである。古い資料の中から当時を思い起こさせるものが出てきた。創立75周年を記念して作成された漫画家横山隆一による絵葉書である。Img224_5

 昭和32年にはソ連が世界最初の人工衛星打ち上げに成功、また、同じころにインドのネール首相が早大を訪問、大隈講堂で講演を行った。

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 記念事業の一つとして、戸山キャンパスに記念会堂が建てられた。昭和39年の東京オリンピックでは、フェンシング会場として利用された。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

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2010/04/29

赤坂プリンスホテルホテル取り壊しの報に接して

 1960年代、国際芸術見本市協会(ジャパン・アート・フェスティバル・アソシエーション)の理事会や選考委員会など各種会議の殆どが当時の「赤坂プリンスホテル」で開催されていた。メンバーに多くの国会議員が参加していたこともあり、永田町に隣接する「赤坂プリンスホテル」は地理的にも最も適切であったからであろう。

 Umjdhr その「赤坂プリンスホテル」(グランド・プリンス赤坂)が来年3月末に閉館され撤去されるとのこと。本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」に限って言えば、超高層の40階建新館が開業したのはずっと後年の1983年であり、当時われわれが頻繁に利用したのは現在の別館(旧館)であった。

 まさに東京のど真ん中に位置し、長年「赤プリ」の愛称で親しまれたこのホテルは、、政界のみならず文化、芸能界にかかわる多くの人々に愛されて来た。今、当時の「赤プリ」に思いを馳せるとき、ジャパン・アート・フェスティバルにかかわった多くの人々の顔が脳裏に浮かんでくる。

 国際芸術見本市協会発足当初の会長は、富士製鉄社長・永野重雄、副会長は八幡製鉄副社長・藤井丙午、顧問として衆議院議員・芸術議員連盟会長・中曽根康弘、理事長は衆議院議員・麻生良方、理事には衆議院議員・原健三郎、日本精工社長・今里広紀、東京国立近代美術館次長・河北倫明、西洋美術館館長・富永惣一など

 選考委員として、日本デザインセンター・原弘、京都国立近代美術館館長・今泉篤男、西洋美術館主任学芸員・嘉門安雄、美術評論家・小山富士夫、久保貞次郎、野間清六、東京大学教授・丹下健三、共立女子大学教授・山田智三郎など、が出席したものである。

 すでに鬼籍に入られた方も多いのであるが、会議の様子とともにそれぞれの発言や細かい表情までが今でも思い出されるる。当時30歳になったばかりの一介の事務局員が後期高齢者の域に達した今日、歴史の歩みに対する感慨も一入である。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

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2010/02/21

生活用具の美 ~ サントリー美術館

  六本木のミッドタウン・ガレリア3階のサントリー美術館で開催中の「おもてなしの美~宴のしつらい」をみた。 展示品Img215_4は江戸時代のものが中心であるが、室町・桃山、中には鎌倉時代のものもある。タイトルが示すとおり、それぞれの時代に用いられた人々の生活用具、それも芸術性のにじみ出た品々である。 

 

 

Img216_2 宴にかかわる酒器、食器、茶器、装飾品、屏風など。素材も陶磁器、漆器、木工・金工細工など多様である。おもてなしとはいえ、すべて人間の生活のために実際に用いられた生活用具である。それにしては極めて芸術性に富んでいる。

  一つ一つの展示品を見ていると、遠い昔の人々の声や生活のざわめきが聞こえてきて、勝手な思いを馳せながら十分楽しめる。

 開催期間は3月14日まで。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

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2010/02/09

アメリカ映画俳優の訃報に想う (続き)

 前回は、昔のアメリカ映画界の男性俳優が、女性俳優に比べて若死にしているのではないかと指摘した。今回は、ではアメリカの女優さん達がどのくらい長生きしているかについて調べてみた。

 独断、順不同ではあるが、中学校時代に観た古い西部劇「大平原」の女優、バーバラ・スタンウイック(Barbara Stanwyck)享年82、同じく中学時代に観た「若草物語」のジューン・アリスン(June Allison)88、東京生まれの美人姉妹は今も健在でオリビア・デハビランド(Olivia de Havilland)93才、ジョン・フォンテーン(Joan Fontaine)92才であるとのこと。

Olivia_2 Olivia de Havilland                                       

                                                

Joan Fontaine Joan_3                                              アニーよ銃をとれ(Annie Get Your Gun)のベティ・ハットン(Betty Hutton)86、シェーン(Shane)のジーン・アーサー(Jean Arthur)90、「陽のあたる場所」(A Place in the Sun)のシェリー・ウインタース(Shelley Winters)85、「死の谷」(Colorado Territory)のヴァージニア・メイヨ(Virginia Mayo)84、クオ・ヴァディス(Quo Vadis)のデボラ・カー(Deborah Kerr)86才など。

 確証がないので、上記の観察は必ずしも正鵠を得たものでは無いかもしれないが、どうもそんな気がするのである。

昨日の書き込みを終えてから、ジーン・シモンズが晩年も何らかの活動をしていたことを知った。若いころに観た「黒水仙」( Narcissus)、「ハムレット」(Hamlet)、聖衣(The  Robe)、「野郎どもと女たち」(Guys and Dolls)あたりまでが、自分の中での記憶であった。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

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2010/02/08

アメリカ映画俳優の訃報に想う

最近、新聞の訃報でアメリカの女優ジーン・シモンズ(Jean Simmons)が 亡くなったことを知った、というよりは「あ、この女優さんは未だ生きていたのか」という感慨とともにその記事を読んだのである。享年80とのこと。 半世紀も昔にイギリス映画「黒水仙」に主演女優デボラー・カーとともに出演して一躍有名になった人である。原題がBlack Narcissusであったことも未だに覚えている。

  無責任な話だが、遠い昔に見た外国映画出演者の訃報に接するといつも同じような感慨に浸ってしまう。昨年の12月には、やはり学生時代にみたメロドラマ「慕情」(Love is a many splendored thing)に出ていた女優ジェニファー・ジョーンズ(Jennifer Jones)の訃報に接した。享年90。 相手役の主演男優はウイリアム・ホールデン(William Holden)だった。 当のホールデンは多くの名画に出演しているが、約30年前に63歳で他界している。

 正確な統計的数字はさておくとして、昔の有名アメリカ女優の寿命は極めて長いように思われてならない。それに比べて男優のそれは一般的には驚くくらい短いことに気付かされた。ちょっと調べてみた。

 80才台後半~90才代までの寿命を全うしたグレゴリー・ペック(Gregory Peck)87、ジェーム・スチュワート(James Strewart)89、ジャック・パランス(Jack Palance)93、トニー・カーティス(Tony Curtis)84(健在)らを除けば殆どが50~70才台で没していることが判る。

 クラーク・ゲイブル(Clark Gable)59、ゲーリー・クーパー(Gary Cooper)60、エロール・フリン(Errol Flynn)50、ユル・ブリンナー(Yul Brynner)65、ジョン・ウエイン(John Wayne)72, アラン・ラッド(Allan Ladd)50、ロバート・テーラー(Robert Taylor)57、アンソニー・パーキンス(Anthony Perkins)60、モンゴメリー・クリフト(Montgomery Clift)45、等などは短命である。屈強な西部劇のヒーローたちも意外に短い生涯を終えていることが判るのだ。

 このような現象は、日本や他の国々ではどうなのだろうか。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

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2010/02/07

懐かしのアメリカ映画 - OK牧場の決斗

 アメリカ映画 「OK牧場の決斗」を久しぶりにテレビで見た。この映画を見るのは三度目か四度目か。制作年が1957(昭和32)年というから、最初見たのは学生時代かもしれない。フランキー・レインが歌うテーマソングとともに懐しい。英語で歌うのに「gunfight at the OK corral」の発音にちょっと苦労したことを覚えている。

 A0037338_21575515 アリゾナ州トゥームストーンのOK牧場での銃撃戦である。バート・ランカスター演じる保安官ワイアット・アープ、カーク・ダグラス演じる賭博師ドク・ホリデーが、牛泥棒クラントン一家と対決するというストリーは実話にもとづくものだという。

 この映画の元版は、1946(昭和21年)制作の原題「My Darling Clementine」(荒野の決闘)である。日本での公開は1947(昭和22)年。ワイアット役がヘンリーフォンダ、ドク・ホリデー役がビクター・マチュアであった。テーマソング「いとしのクレメンタイン」(Oh My Darling Clementine)は日本でも英語の歌詞とともに、「雪山賛歌」という題名で「雪よ岩よ我らが宿り・・・」の歌詞となって広く歌われるようになった。作詞は京都大学の西堀栄三郎氏といわれている。

ヘンリー・フォンダは1982年に、ビクター・マチュアは1999年に、バート・ランカスターは1994年にそれぞれ他界している。カーク・ダグラスは93歳で健在らしい。往年の名優が相次いで亡くなっていくのはさびしいことだ。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

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2010/01/07

海を渡る日本現代美術・光山清子 著

 今からちょうど三年前、「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」に関するこのブログを立ち上げた。

 その目的は、冒頭の「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか」に述べている通り、40数年の昔に米国ニューヨーク市で日本芸術展が開催されたとの事実を、世の美術愛好者や関係者に知ってもらうことにあった。

 おかげで、これまでに延べ三万人余の方々の目にとまり、今やジャパン・アート・フェスティバルも、関係者の間ではいささかの市民権を得つつある。その意味では所期の目的をある程度達成できたのではないかと考えている。

 ただ、上記「始末記」で取り上げた内容は、あくまでもその実行組織の事務局スタッフとして展示会の運営に携わった者の体験や感想に限られている。 プロジェクトの基本的方針、作家・作品の選定、展示会の内容や構成についてのアカデミックな考察や、歴史的な検証は守備範囲外である。

 4326851880_2 光山清子氏著による「海を渡る現代美術・欧米における展覧会史1945-95」(勁草書房)が出版された。 20世紀後半の海外における日本の現代美術のプレゼンスに焦点を当て、その歴史的意義について詳細に検証している。その中でジャパン・アート・フェスティバルが柱の一本として取り上げられている。

 ジャパン・アート・フェスティバルに関する正確な資料の入手、蒐集が必ずしも容易ではない状況の中で、可能な限りの詳細な情報を集めて、本プロジェクトに関して果敢な検証を試みていることは画期的ともいうべきだろう。

 ところでジャパン・アート・フェスティバルは政府や自転車振興会の補助金対象事業であった。公的資金の補助を受けるめには自己資金の確保が前提となる。財界や企業からの寄付金が不可欠であった。

 いかなる事業も、それが実現されるためには裏付けとなる財政的措置がかなめとなる。 教育、学問、研究、科学、福祉、そして宗教活動すらも。もちろん芸術も例外ではない。

 金がなければなにもできない。事務局スタッフとして第一線で実施運営に携わった者にとって終わることのない最大の問題は常に財政であった。金なくしてはなにも動かない現実があった。改めてこの相容れることのない「事業と金」の問題を想起した。いみじくも先日来の民主党政府予算編成にかかわる「事業仕分」を思い出した。

  *本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/

2009/11/18

1960年代の日本美術(彫刻) 篠田守男

国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)カタログより (順次1点掲載)

本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記については、下記をご参照ください。

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彫刻

作家名: 篠田守男

作品名: Tension and Compression No.5-2(1968)

1' x 1'2"(d)

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