早稲田大学は一昨年(2007)、創立125周年記念事業をおこなった。
在校生、一般OBに加えて、玉石混淆・世間の評価はまちまちながら各界に多彩なOBを多数輩出しているところから、著名人も参加しての盛大な記念行事であった。また若者世代の世相を反映してか、娯楽的趣向も豊富に盛り込まれていた。
手元に「創立75周年・早稲田祭」なるパンフレットがある。1957年10月21日から27日に実施された早稲田大学創立75周年記念事業のパンフレットである。主催は早稲田大学・早稲田祭委員会となっている。
52年前、昭和32年、大学4年在籍時のイベントであった。頁を繰ってみる。当然のことながらプログラムは、当時の世相、社会状況を如実に示していて興味がつきない。
大隈講堂やその他の会場でおこなわれた講演会、展示会、映画会などの演題・講師、プログラムなどをいくつか拾ってみよう。
「早稲田の歩み」=浅沼稲次郎、「学問と政治」=鈴木茂三郎、「大学の伝統と学問研究の自由について」・大内兵衛・中谷博、、「戦後の教育について」=国分一太郎、「道徳教育をめぐって」=松永東、羽仁説子ほか
「原子力に志す若者達に語る」=中曽根康弘、「歴史と現代」=上原専禄・三笠宮祟仁、「学生運動について」=大槻健、「学生生活について」=山下肇
「中小企業組織法」=春日一幸、「中小企業経営と大企業経営」=鮎川義介
「日本における社会運動」=賀川豊彦、「労働政策の見方」=松岡三郎、「戦後の労働運動」=大河内一男・斎藤一郎、「日本経済の構造と将来」=野田信夫・小島清
「力と外交」=服部卓四郎、「売春防止法について」=菅原通済
「大衆芸術論」-転形期に於ける現代芸術の課題としてー=佐々木基一、岡本太郎・花田清輝・野間宏、「絵画の記録性」=針生一郎、「美術一般について」=中原佑介・利根山光人
「現代日本文学の課題ー 楢山節考の評価について」=花田清輝、「芸術における前衛派」=岡本太郎・黛敏郎・安部公房、座談会「先輩と語ろう」=鶴見俊介ほか
「思い出の山旅」=串田孫一、「私小説論」=平野兼、「ソヴェトロシアをめぐりて」=湯浅芳子
映画=忘れられた人々、最後の橋、女の園、ビルマの竪琴、十代の反抗、シベリア物語、マナスルに立つ、など
劇団民芸=「島」(細川ちか子、下条正巳、北林谷栄、下元勉、高田敏江ほか)
映画と講演=真山美保、宇野重吉、金達寿・「沙道城物語」
昭和18年に 「最後の早慶戦」が行われた戸塚球場は、まだ新宿区戸塚のメインキャンパス(現在の早稲田キャンパス)に安部球場として往時の姿を残していた。
75週年を記念して早大記念会堂が竣工、7年後の東京オリンピックではフェンシング競技会場として使用された。
現在の戸山キャンパスにあった高等学院は、昭和31年(1956)すでに練馬区上石神井に移転していた。
戸山キャンパスや大久保キャンパス(西早稲田キャンパス)ができたのは後年のことであり、当時は文学部、理工学部を含めたほぼ全学生が「都の西北」に同居していたわけである。
女子学生は文学部や教育学部には多少在籍したものの、わが法学部にはきわめて少なかった。今日、キャンパスでは詰襟の学生服は全く見当たらず、これを着用しているのは応援団など体育系学生のみらしい。
*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/