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2015/07/08

終戦70周年 - 戦争と平和=ある下級兵士の一生(2/2)

 前稿(終戦70周年 - 戦争と平和=ある下級兵士の一生1/2)に続く。

 新婚9か月目に応召した叔父の運命は、実にあっけなく儚いものであった。防衛省戦史研究センターの史料「昭和36年12月1日・西部ニューギニア方面部隊略歴(厚生省援護局)によればその顛末は下記のとおりである。

 昭和18年12月27日  臨時招集

 昭和19年 5月27日~7月10日 ビアク島付近の戦闘に参加

 昭和19年12月 9日  敵の同島攻略に依り之と交戦、全部隊殆ど戦死せるものと認定す

 

 したがって、叔父の命日は12月9日となっている。

 ここに京都新聞社刊「防人の詩」・悲運の京都兵団証言録(昭和55年11月)がある。そのシリーズのひとつ「南太平洋編」に叔父が配属された「開拓勤務隊」に関する記述がある。戦後、奇跡的に同島から生還した兵士らの証言にもとづくものであるから、その信頼度はきわめて高いというべきであろう。

*昭和19年5月27日 マッカーサー麾下連合軍(約25,000の将兵)の上陸始まる。ビアク島の日本守備隊は総計一万四百人余。戦闘基幹部隊は葛目直幸大佐が指揮する歩兵第二百二十二連隊三千五百人。ほかに通信隊、輜重隊、野戦高射砲大隊、飛行場設置隊、防疫給水班、患者輸送隊、野戦病院など。そして奇妙な呼称を持った「開拓勤務隊」があった。

*以下は京都新聞社刊「防人の詩」の記述である。

 圧倒的な敵勢力により、応戦二十四日目にして日本軍は壊滅状態となる。7月2日(抗戦37日目)、守備隊長(葛目大佐連隊長)自決により、ビアク島における日本軍の組織的抵抗は終わった。8月20日、連合軍はビアク島攻略作戦完了を正式に声明した。

・・・その後も、少数の日本兵がなお同島内に潜伏している形跡が報告されていた.事実、終戦を迎えた直後、同島の密林内から八十六人の将兵が発見され、連合軍に収容されたとの記録が残されている。このとき、一万人を超えた同島守備隊の将兵は、わずか八十余人を残すのみであった。  

 ・・・ただ奇妙なことに、彼らの戦死した日時は、いずれも昭和十九年十二月九日となっていた。ということは、これらの兵士がビアク島における苦闘のなかで死亡した事実とあわせて「玉砕の島」と化した同島においては、どの兵士が、いつ、いかなる状況下に死亡したのかーーーそのようなことを確認すべき手だてもなく、軍は、一様に同じ日時をもって「戦死せる日」と認定し去ったのであった。

 

 

 

 *本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

 

 

 

 

 

 

 

 

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