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2012/07/29

終戦記念日 ー 敗戦日記・高見順

 8月15日が近づくと、広島・長崎の原爆投下をはじめ、各地で戦争に関連した行事が行われる。テレビなどのメディアも多様な終戦関連番組を企画するので、毎年のことながらこの時期前後一ヶ月くらいは関心がついそちらへ向かってしまう。

 読書も同様で、いわゆる「敗戦日記」ものを再読することがある。 当時は国民学校四年生の学童ではあったものの、昭和20年前後の戦況はもちろん、政治、経済、家庭生活などの一般世情に大きな関心が行く。 学校や家庭での生活体験の記憶をたどりながら、当時の歴史的背景を再確認する作業には興味深いものがある。終戦記念日は「敗戦記念日」でもある。

 高見順の「敗戦日記」を再読した。昭和20年の年頭から年末までの、文士高見順の一年間の思考や行動が記述されていて興味深い。激しい米軍の空襲に翻弄される生活の中で、東京や周辺の被災状況に貪欲なまでに関心を寄せて、交通機関のままならない混乱の中を連日鎌倉から東京まで出かけて行く。

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 食糧事情逼迫の中、当然のことながら食べることへの執着から、銀座や浅草の食堂で一杯の飯にありつく。 アルコール飲料に対する文士仲間の執念には尋常ならぬものがある。焼け野原の街に酒やビールが飲める僥倖にありつければそれは破格のことである。 焼け跡にはトイレが無いから立ち小便もあたりまえ、高見の日記には「立小便をした」ことがその都度記述されているのも面白い。要するに、当時はなりふり構わずその日その日を生きることが精一杯であった。中山義秀、川端康成、石川達三など当時の鎌倉文士らの動静も窺える。

 「社会保障と税の一体改革」とか「普天間基地移設問題」とか「オスプレイ配備」とか「早期解散」とか世情はかまびすしい。学校でのいじめ問題は、ますます陰鬱なものとなっている。わけのわからない兇悪犯罪の増加、長寿・少子高齢化にともなう孤独死、孤立死など、社会はますますいびつになっていくように見える。

 67年前を偲ぶとき、ここ半世紀の科学技術の進歩は格段の発展を成し遂げたものの、人間の精神はほとんど進歩がないばかりか、むしろ退歩さえしているのではないかとか感じることの多い今日である。

 ロンドンのオリンピックは始まったばかり、時差の関係もあり連日寝不足が続きそうだ。

 *本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

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