電子機器依存症 ― こわれたカーナビ
過日、東名高速道路を東京に向って運転中のこと。 御殿場・大井松田間のあたりだったか、それまでは機嫌よく折々の情報を伝えてくれていた女性ボイスが突然「次の交差点を左折します」とかなんとか!?
一体何事かとカーナビ画面に目を転じると、あろうことか、いつのまにか「ハイウエイモード画面」は消えて、「自車マーク(矢印)」はどこかの市街地域を走っている。とりあえず最初のPAで車を止めていろいろいじくりまわしてみる。 なんとか元に戻して走り出すが、その後もトラブル続出、最後は画面が完全にフリーズして機能しなくなる。お手上げである。
自宅に戻ってからも試しに近隣の運転にナビを使ってみた。たまたま巧く機能することもあるが、やがてトラブル頻発で一喜一憂。結局、いつも世話になっている販売店に修理に出すことになった。メーカー純正品のDVDメカ交換ということで費用は52,500円ということに。
カーナビを使い始めて10年以上になる。昔は車の中にはいつも数種類の地図を携行したものだ。今では、初めての土地、深山の林道、込み入った市街地の一方通行など、目的地到達のためにはカーナビほど便利なものはない。
そんなわけで100%カーナビ依存症である。一旦この機械がこわれてしまうと大きな不安感に襲われる。このような依存症からくる不安感は、ケータイ電話やパソコンについても言えるのではないか。日頃愛用しているケータイ電話を紛失したり、それがこわれた時のパニックぶり、パソコンが壊れたり、ウイルスに感染したことが判れば誰でもかなりのショックを受けるに違いない。
昭和時代の前半にはどちらかと言えばアナログなスローライフを体験してきた世代である。電子機器に対する過剰依存ともいうべき現代の社会生活には、我ながらほとほと情けないなという思いがある。 際限なく進歩する科学技術の恩恵を受けるということは、こういうことなのだろうと観念もする。
*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。
http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html
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