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2011/11/16

歌は世につれ(1) = ガクカウ( 国民学校一年生)

・ガクカウ

ミンナデ ベンキヨウ ウレシイナ コクミンガッコウ イチネンセイ
ゲンキデ タイソウ イチニッサン コクミンガッコウ イチネンセイ
(表記は新かなづかい)

 (みんなで勉強うれしいな/国民学校1年生)
 (元気で体操一、二、三/国民学校1年生 )

Img260
 昭和16年4月、それまでの「尋常小学校」は国民学校令の発布により「国民学校」となった。私たち昭和10年生まれが国民学校に入学したのは17年4月。その4ヶ月前の16年12月8日、日本はハワイのオアフ島・真珠湾を攻撃、ここに太平洋戦争の火ぶたが切られた。

 文部省検定の国語の教科書(ヨミカタ 一)は、それまでの「サイタ サイタ サクラガ サイタ」から「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」へとかわった。内容も戦時色の強いものとなり、児童に対しても軍国主義教育が推し進められるようになった。上記は、当時の国民学校唱歌(題名はガクカウ=学校)

Img036_14 

*上の画像は、昭和16年4月から使用された国民学校一年生用の文部省検定国語教科書(ヨミカタ 一)表紙見開きと冒頭文章。(拡大するにはクリックで
 それまでの「サクラ読本」とよばれた教科書にたいして「アサヒ読本」とも呼ばれる。

 昭和ひと桁世代よりやや遅れて、しかし団塊の世代よりは10年早くこの世に生を受けた昭和10年生まれ、太平洋戦争、戦後復興、高度経済成長、パブル経済崩壊を体験した世代である。

 日米開戦(真珠湾攻撃)の3ヶ月後に国民学校(小学校)入学、終戦時は国民学校4年生、高校卒業・大学進学は昭和29年が標準的な軌跡だ。

 大卒初任給は18,000円~20,000円程度(昭和33年頃)だった。戦後60年余、時代は軍国主義から民主主義へと大きく変わり、科学技術の進化は私たちの価値観や生活環境に著しい変化をもたらした。そんな変化が、まさに「歌は世につれ世は歌につれ」に見られる。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

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