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2011/01/23

戦中の初等科国語 - 文語体の学習

 外国語習得の必要性が強調される今日、日本語の教育はどうなっているのだろうか。日本語の崩壊を憂う一方で、日本語教育がいささか等閑にされているのではないだろうか。国民文化としての日本語教育を語る時、現代国語に加えて文語(文語文、文語法)教育も忘れてはならないと思う。文語不要論には与しない。

 現在の日本の小学校国語教科書では、何年生の時から「文語体」が登場するのだろうか。

 昭和17年4月に入学した私たちの国語は「ヨミカタ・一」、アカイ アカイ アサヒ アサヒから始まった。

 このシリーズで初めて文語体の文章が出てくるのは、4年生の後半に使用された「初等科国語・四」である。まず、「くりから谷」として、木曽義仲と敵の大将平維盛の越中の国での戦を取り上げている・・・(拡大するにはクリック

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 次に、同じく源平合戦「ひよどり越」では、源義経の平家一の谷の城攻め、

 さらに屋島の合戦を舞台とする「扇の的」では、那須与一が登場する。これら一連の源平合戦が、わたくしたちが最初に出会った文語体文章であった・・・

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 ・・・・・というはずであったのだが、実際は、私たちが国民学校の4年生に進級した昭和20年には、戦争からくる疲弊、極度の物資不足に加えて学童疎開が実施されるなど、勉強どころではなくなっていたのが実情であった。

 戦後の中学、高校時代には「古文」として徒然草、枕草子、源氏物語などの古典にめぐりあい、大学受験に際しては漢文とともに現代国語、古文が受験科目に入っていたと記憶する。 

 現代の若者たちは、何時、何処で、何処まで国語文化に親しむ機会に恵まれているのだろうか。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

 

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