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2010/04/29

赤坂プリンスホテルホテル取り壊しの報に接して

 1960年代、国際芸術見本市協会(ジャパン・アート・フェスティバル・アソシエーション)の理事会や選考委員会など各種会議の殆どが当時の「赤坂プリンスホテル」で開催されていた。メンバーに多くの国会議員が参加していたこともあり、永田町に隣接する「赤坂プリンスホテル」は地理的にも最も適切であったからであろう。

 Umjdhr その「赤坂プリンスホテル」(グランド・プリンス赤坂)が来年3月末に閉館され撤去されるとのこと。本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」に限って言えば、超高層の40階建新館が開業したのはずっと後年の1983年であり、当時われわれが頻繁に利用したのは現在の別館(旧館)であった。

 まさに東京のど真ん中に位置し、長年「赤プリ」の愛称で親しまれたこのホテルは、、政界のみならず文化、芸能界にかかわる多くの人々に愛されて来た。今、当時の「赤プリ」に思いを馳せるとき、ジャパン・アート・フェスティバルにかかわった多くの人々の顔が脳裏に浮かんでくる。

 国際芸術見本市協会発足当初の会長は、富士製鉄社長・永野重雄、副会長は八幡製鉄副社長・藤井丙午、顧問として衆議院議員・芸術議員連盟会長・中曽根康弘、理事長は衆議院議員・麻生良方、理事には衆議院議員・原健三郎、日本精工社長・今里広紀、東京国立近代美術館次長・河北倫明、西洋美術館館長・富永惣一など

 選考委員として、日本デザインセンター・原弘、京都国立近代美術館館長・今泉篤男、西洋美術館主任学芸員・嘉門安雄、美術評論家・小山富士夫、久保貞次郎、野間清六、東京大学教授・丹下健三、共立女子大学教授・山田智三郎など、が出席したものである。

 すでに鬼籍に入られた方も多いのであるが、会議の様子とともにそれぞれの発言や細かい表情までが今でも思い出されるる。当時30歳になったばかりの一介の事務局員が後期高齢者の域に達した今日、歴史の歩みに対する感慨も一入である。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイトをご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

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