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2009/04/22

JTB時刻表1000号発行 - 宮脇俊三著・時刻表昭和史

  「JTB時刻表1000号」が発行された。

 たまたま「時刻表昭和史」(宮脇俊三著・角川選書・昭和55年)の再々読を終えたばかりであった。

 宮脇俊三氏は若い時から本業の雑誌編集に従事しながらも、鉄道や列車時刻表などに大きな関心を持ち続けた鉄道ファンであった。のみならず、幼少時からの鉄道体験を歴史、文学のレベルにまで高めて著した文化人でもあった。元祖鉄ちゃんの一人とも言うべきか。

 「時刻表昭和史」には、昭和初期から昭和20年8月の終戦に至るまでの著者の個人的な鉄道体験が詳述されている。鉄道や時刻表に委ねられた時代背景には読者の興味は尽きない。 東海道・山陽本線のみならず地方本線の変遷が具体的に記されている。幼いころの著者の鉄道に対する興奮、感動ぶりがこちらの心にも伝わってくる。(画像拡大はクリックで

Img258
 記述は昭和20年8月15日の終戦日の場面で終わる。当時新潟に疎開していた18歳の著者は、たまたま所用で東京からやってきた父上に同行して山形・大石田への小旅行をした。用事が済んで疎開先への帰途、米沢から坂町を結ぶローカル線・米坂線に乗り換えるために途中の今泉駅で列車の到着を待つ。正午に何やら重大放送があるということが耳に入る。

 真夏の太陽が照りつける蝉しぐれの中、今泉駅前広場に居合わせた人々がラヂオの玉音放送に耳を傾ける。

 何よりも著者が感動するのは、その数十分後に坂町行き列車が、動輪の間から蒸気を吐きながら時間どおりにホームに進入して来るシーンである。そこでは機関士や助手、駅の助役らが登場して、タブレットの受け渡しなどの日常作業が、まるで何事もなかったように遂行される。

 敗戦という大激震の直後にも拘わらずこの地域では汽車が時間どおりに運行されていたことに、著者は忘れることのできない印象を受けたのだった。著者のこの感動は読者にも十分伝わってくるのである。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

 

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