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2009/04/15

食の季節感 - 鯖寿司

  ふるさと京都の氏神である松尾大社の春のお祭り(神幸祭)は昔から四月の後半(現在は第4日曜日)。木々の新芽が出始める頃。当時も今も咲き誇る山吹が見られる。 子供の頃、この日には鯖寿司を食べたものだ。もちろん自家製である。

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                    松尾大社楼門

 すし飯を抜くための抜き型(木枠)、作業台、包装材となる竹の皮、出来上がった鯖寿司を容れるための大型の木箱など必要な用具が所狭しとばかりに台所に準備される。

 季節の生鯖は若狭から運ばれてきたものを母が予め10尾あまりも仕入れておく。三枚に下ろして小骨を抜き、酢締めなどの下拵えを手際よくやって置く。合わせ酢で寿司飯を準備する。大家族で暮らしていた当時は、炊く米の量が3~4升にもなった。これを前日の夜に洗って、大笊に入れて水を切っておく。

 当日は、家中に酢飯の香りが充満する。年長の姉たちは多少の手伝いはするが、我々悪童共は何の役にも立たないどころか、あわよくば出来立ての寿司のおこぼれに与かろうとうろうろするのみで、かえって母の仕事の邪魔になるのであった。

 出来上がった鯖寿司は、一本々丁寧に竹の皮に包まれ、これも竹の皮でできた細紐で結ばれる。大型の木箱に20本余りが納められて、一晩重石をかけて台所の片隅に置かれる。程よく風味が増した鯖寿司は翌日には食べごろとなる。

 主婦にとっては、実に大変な労力と手間のかかる仕事であったが、昭和初期の女性達にとっては、この程度の作業は一年を通じて頻繁に巡ってくる折々の行事に伴う役割であった。 盆、暮れ・正月の準備、月々の仏事、着物の洗い張り、布団づくり、梅干作り、季節の漬物、等々・・・と際限がない。

 朝いつ起きたのか、昨夜は何時に床についたのか、そんなことは考えたこともなかった。いつも起きていた母。明治、大正、昭和、平成を生きた母だった。

  隣家から筍をいただいた。さっそく米糠汁で茹でて季節をいただく。わかめと炊いた若竹煮、筍ご飯、酢味噌和えなどで季節感を味わった。木の芽が風味を引き立たせる。

 春から夏にかけては、そら豆、絹さや、そして間もなく豌豆と季節の食の楽しみが続く。食べることは子供の頃からの大きな楽しみの一つであった。当然ながらすべては一家の主婦である母まかせであったのだが、子供心にも一年を通じて、折々のレシピ(というようなしゃれたものではないが、言うなればご飯のおかず)が季節の移り変わりとともに日々の楽しみとなっていた。

 筍、蕗、胡瓜、茄子、トマト、鰹、鱧、素麺、西瓜、芋茎、そして数々の京野菜等々と食の季節は巡っていく。芹、大葉、三つ葉、木の芽などが添えられる。また、盛り付けには葉蘭、南天の葉、経木などが活躍する。食べ物やそれらにまつわる演出から得られる季節感は感動的だった。旬のものは言うまでもないが、はしりものを味わうのも子供心にも楽しみだった。 

 何事につけても、人には皆それぞれの幼少の頃に培った季節感があるはずだ。ハウス栽培など農業技術のおかげで、今日では幸か不幸か一年を通じて大抵の食材が容易に手に入る。そして食の季節感も失われていく。 これを喜ぶべきか、悲しむべきか。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

 

 

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