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2009/02/02

東海道・山陽新幹線 - 鉄道の今昔

 JR列車時刻表によれば、東海道・山陽新幹線「のぞみ号」(N700)を利用すると、6時00分に東京駅を出発して10時50分には博多駅に着くそうだ。4時間50分の旅である。科学技術進歩の恩恵をつくづく実感する現代である。 

 最近の懐古趣味に駆られて「亜細亜の曙」(アジアのあけぼの・山中峯太郎著)という題名の昔の児童文学を再読した。戦中であったか戦後であったか、今となっては定かではないが、当時の国民学校(小学校)時代に読んだ少年冒険小説である。あれから60年余。

 この小説の冒頭は、当時(昭和5年前後か)の1・2等特別急行列車「ふじ」(富士)の描写から始まる。時は春、桜の季節。列車は午前10時に東京駅を出発する。名古屋~岐阜~大垣を経た頃には早くも日が暮れ始める。

 京都に着くころには、車両の通路にはカーテンが下ろされて寝台車に変身する。一夜明けて下関到着が午前8時45分となっている。22時間15分の旅である。今日の寝台特急・富士・はやぶさは東京発18時03分、下関着は翌日の8時32分となっている。所要時間は約14時間30分。鉄道ファンに親しまれたこのブルートレインも3月13日のラストランによりその名を消してしまうことになる。

 東京の大学に入って、故郷の京都へ帰省するときには、大抵夜行列車を利用したものだ。と言っても寝台車ではない。昭和30年前後の学生や一般庶民の汽車旅行は並大抵ではなかった。立錐の余地もない通路に新聞紙をしいて石炭の粉じんと絶え間ない轟音に苦しみながら東海道を下る。やっと夜が明けて京都について、駅の水道で口をすすぎ煤けた顔を洗う。

 休暇が終って東京に戻る折は懐具合も比較的よい。そんな時には特急「つばめ号」利用の贅沢をすることもあった。

 蒸気機関車(SL)は、今日でこそ昔日の旅情のシンボルである。石炭の燃える匂いでさえ懐かしい。その雄姿は熱烈な鉄道ファンの垂涎の的である。昭和初期の鉄道については、宮脇俊三著「時刻表昭和史」(角川選書)に詳しく記されている。

 因みに、昭和初期の少年冒険小説作家・山中峯太郎の著には、他にも「敵中横断三百里」、「大東の鐵人」、「見えない飛行機」などがある。現代の歴史観からみて、その内容の当否は兎も角として、また小学生にとってはいささか舞台のスケールが大きすぎて十分な理解が困難であったにも拘わらず、当時の少年たちの想像力と興奮を大いに誘ったものであった。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

 

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