心のふるさと(2)ー山ノ上
昭和16年を境に改定された文部省検定小学校国語教科書に共通して掲載されている(小學国語読本・巻二とヨミカタ・二)短文(詩)がある。題名は「山ノ上」。
頂に松の木が生えている緑の山の挿絵が懐かしい。ふるさと京都嵯峨野から眺める西山の姿に似ている。
詩に描かれた風景を、家からすぐ近くに見える西山になぞらえていた。麓に有名な松尾大社や西芳寺を抱く山々である。
子供心に、西山の向こう側には、まだ見たこともない青い大海原が広がっているものと想像していた。実際には海があるはずもなく、丹波高原の山々や畑が広がってるにすぎなかったのであるが。
なにしろ、小学校六年生の時に兵庫県須磨に海水浴に行くまでは、一度も海を見たことが無かったのである。したがって海は幼少時の憧れであった。
60年後の今でも、京都駅に降り立つと昔と変わらない風景が迎えてくれる。まず西山(松尾山)の稜線を確かめる。故郷の山はありがたきかな。そして実際には有りもしない背後の大海原を想像してしまうのである。
山ノ上
ムカフ ノ 山 ニ ノボッタラ、山 ノ ムカフ ハ 村 ダッタ。 タンボ ノ ツ ヅク 村 ダッタ。
ツヅク タンボ ノ ソノ サキハ、ヒロイ ヒロイ ウミ ダッタ。青イ、青イ ウミ ダッタ。
小サイ シラホ ガ 二ツ 三ツ、青イ ウミ ニ ウイテ ヰタ。 トホクノ ハウ ニ ウイテ ヰタ。
(向こうの山に登ったら、山の向こうは村だった。たんぼの続く村だった。続くたんぼのその先は、ひろいひろい海だった。青い、青い海だった。小さい白帆が二つ三つ青い海に浮いていた。遠くのほうに浮いていた。)
*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。
http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html
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コメント
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今日(2012年7月21日)の朝日新聞「ひととき」欄に、鹿児島の主婦が、今年喜寿を迎えた夫が覚えていた詩として、投稿していました。とても素晴らしい、感動的な文章だったので、全文を知りたくなり検索しました。昔の教科書は素晴らしいですね。
ところで、わが父は、生きていれば今は102歳ですが、大正時代に小学校の級友が作ったと言う詩を覚えていました。荒川のほとりにあったその小学校で、新体詩を熱心にしていた担当の先生が指導したそうです。
「土手の草は長いなあ!兵隊ごっこは面白い!」
大正の初めです。
投稿: aoki eisuke | 2012/07/21 15時43分
私も朝日新聞を見てここに来ました。
おかげで全文を読めました。
ありがとうございます。
投稿: コムギコ | 2012/07/21 22時08分
*soki eisuke様
Keyです。コメント有難うございました。この詩を教科書で学んだのは、多分、私たちの年代までではないでしょうか。本当に昔の教科書には素晴らしい作品がありました。
投稿: Key | 2012/07/23 09時53分
*コムギコ様
Keyです。コメント有難うございました。新聞の効果はすごいです。たくさんのアクセスがありました。小学校は昭和16年に国民学校となり、内容が少し変わりましたが、昭和初期の教科書には素晴らしい詩や文章がありました。
投稿: Key | 2012/07/23 09時58分