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2009/01/09

マジ、マジっすか

  若者言葉(わかものことば)というものがあることを改めて知った。

 「コーヒーとか飲みません?」、クロークでは「お荷物のほうお預かりしましょうか?」、レストランでウエイターが注文の料理を運んできて「こちら鉄火丼になります」。おいしければ「この味、ヤバいっす」、「私って三度の食事よりもお酒の好きな人じゃないですか」などなど・・・・・

 相手の説明に対して「そうなんだァ」というのは、「そうですか?」という確認と「そうなのだ」という自身の納得の意を同時に示すものらしい。「ぶっちゃけ」・・・なんていう表現もあるようだ。

 二、三か月前のテレビニュース。マンションの自室で大麻を栽培していた有名私立大学の学生が、大麻取締法違反で厚生取締官のグループに踏み込まれた場面。事件の反社会性、違法性はさておくとして、その瞬間の学生の発した言葉は「これ、マジっすか?」であった。ここまでくると、言葉だけの問題ではなくなってしまう。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/

2009/01/11

心のふるさとー長い道

 昭和18年4月に国民学校(現在の小学校)2年生に進級した。最近ふとしたことから当時の国語の教科書を入手した。タイトルは「よみかた・三」。発行者は文部省(もんぶしゃう)。

 66年前のその内容の一部が今でも鮮明に記憶に残っていることを発見した。その一つが、ここに紹介する短文(詩)である。全文をほぼ完璧に諳んじていた。

長い道

 どこまで 行っても、長い道。 夕日が赤い、森の上。

 どこまで 行っても、長い道。 ごうんとお寺のかねがなる。

 どこまで 行っても、長い道。 もうかえろうよ日がくれる。

 挿絵の風景は、夕日が沈みはじめた遠くの森を背景に、手をつないだ三人の子供が野中の一本道を帰り急ぐ姿。Img034

 たったこれだけの短い文章であるが、当時自分が暮らしていた京都市郊外の風景に重なって、なぜか心に残るものとなった。当時は子供心にもそんな心象風景を求めて歩き回ったものであった。

 「兎追う」べき山こそ無かったものの、付近の小川にはこぶなはもちろん、ドジョウ、蛙、水生昆虫などがたくさんいて、毎日の生活を楽しませてくれたものだ。

 半世紀以上たった今、さすがに実家のある一郭は昭和初期の風景をほぼ留めてはいるものの、時折たずねる故郷はミニ開発の対象となり、小さな森や竹薮も姿を消して、新興住宅地としてすっかり変貌してしまった。それでも、古都の嵯峨野は日本の他地域と比較するとき、昔の景観がよく保存されていると言えるだろう。

 世代は異なっても、大人の日本人が持つ故郷の心象風景はだいたいこのようなものではないか。 さて、現代っ子が成長した時の「心のふるさと」はどんなものか。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/

 

戦前、戦中の小学国語教科書ーサクラ読本・アサヒ読本

 前回の記述に引き続いて、さらに昔の小学校の国語教科書に触れてみたい。

 昭和初期から終戦時(1945年)までに小学校で学んだ人々の間では、「君はアサヒ世代か、僕はサクラ世代だ」というような会話が交わされることがある。現在ほぼ70歳以上の世代である。

 小学校入学時に初めて支給された文部省検定の国語教科書によって、互いに世代を確認し合うというぐあいである。

 昭和15年までに入学した児童には、「尋常科小學國語讀本・巻一」(サクラ読本)が、16年以降の新入生には「ヨミカタ・一」(アサヒ読本)が支給された。

 前者は「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」で、後者は「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」とどちらも片仮名の文章で始まる。前者はつくりも立派で、挿絵などの印刷も美麗かつ繊細なものであった。Img035_2 

 

 Img036

  昭和17年入学の私たちが使用したアサヒ読本は、戦時中の物資不足を反映して、紙質や印刷も随分質素になり、前者と比べてかなり見劣りがする。兄や姉たちの美しい教科書が羨ましかったことを覚えている。

 ともに、一年間を二分冊に分けており、前者は「尋常科小學國語讀本・巻一、二」、後者は「ヨミカタ・一、二」となっていた。内容も徐々に戦争を意識したものに変化していった。

 ひらがなの学習が始まるのは二年生から。新漢字の登場は、サクラ読本二分冊で316文字、アサヒ読本では415文字であった。

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2009/01/23

心のふるさと(2)ー山ノ上

 昭和16年を境に改定された文部省検定小学校国語教科書に共通して掲載されている(小學国語読本・巻二とヨミカタ・二)短文(詩)がある。題名は「山ノ上」。

 頂に松の木が生えている緑の山の挿絵が懐かしい。ふるさと京都嵯峨野から眺める西山の姿に似ている。

 詩に描かれた風景を、家からすぐ近くに見える西山になぞらえていた。麓に有名な松尾大社や西芳寺を抱く山々である。 

 子供心に、西山の向こう側には、まだ見たこともない青い大海原が広がっているものと想像していた。実際には海があるはずもなく、丹波高原の山々や畑が広がってるにすぎなかったのであるが。

 なにしろ、小学校六年生の時に兵庫県須磨に海水浴に行くまでは、一度も海を見たことが無かったのである。したがって海は幼少時の憧れであった。

 60年後の今でも、京都駅に降り立つと昔と変わらない風景が迎えてくれる。まず西山(松尾山)の稜線を確かめる。故郷の山はありがたきかな。そして実際には有りもしない背後の大海原を想像してしまうのである。

山ノ上

    Img041_13 ムカフ ノ 山 ニ ノボッタラ、山 ノ ムカフ ハ 村 ダッタ。 タンボ ノ ツ  ヅク 村 ダッタ。

                                                                     Img042_2                                              

  ツヅク タンボ ノ ソノ サキハ、ヒロイ ヒロイ ウミ ダッタ。青イ、青イ ウミ ダッタ。

 小サイ シラホ ガ 二ツ 三ツ、青イ ウミ ニ ウイテ ヰタ。 トホクノ ハウ ニ ウイテ ヰタ。

(山の向こうに登ったら、山の向こうは村だった。たんぼの続く村だった。続くたんぼのその先は、ひろいひろい海だった。青い、青い海だった。小さい白帆が二つ三つ青い海に浮いていた。遠くのほうに浮いていた。)

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2009/01/28

若者と英語学習

 日本人の国民性はきわめて英語好きであると言える。英語もしくは英語的表現は、現代社会の隅々まで浸透している。ビジネス、文化、スポーツ、ファッションは言うまでもなく、われわれの日常生活のあらゆる面に定着している。

 とは言うものの多くの若者にとって、中学校や高校での英語ほど厄介なものはないらしい。小学生の頃から早くも英語学習を始めて、それだけが理由ではないかも知れないが、中学校、高校に進むにつれて段々英語嫌いになってしまう。何事もスタートが大切である。いったん体験した消化不良は根治が困難になってしまうばかりでなく、結果として「英語嫌い」を作ってしまう。

 それにもかかわらず、英語に憧れる日本の若者は多い。良い発音で、流暢に英語を話すことができれば、それこそカッコいいわけである。外国人と交流したい。英語で洋楽を歌いたい。

 たまに、最近の若者向けのポップス音楽(いわゆるジェイポップ)が耳に入ってくることがある。その歌詞に戸惑うことがある。一連の流れの中に突然、意味不明とも思われる英語の単語やフレーズが入ってくる。テレビの場合だと、歌詞が画面に流れるからいいものの、殆ど聞き取ることができない。

 そうかと思えば、英語なまりの日本語で歌う。 耳を澄ますと確かに日本語であるが、発音は明らかに「英語風」である。「ラ行」の発音に、本来日本人が不得意なはずの「r」を極端に響かせたり、サ行の音に「sh」を強調する。

  定年退職してから約8年間ほど、週一回、地方の県庁所在地にある私立大学で英語、英会話を教えた。

 対象は英語・英文学専攻の学生ではなく、一般教養課程必須科目としての外国語学習であったから、一部の学生を除いては英語の基礎知識や理解力は極めて低く、したがってその学習意欲も想像がつこうというもの。大半の学生にとって、英語は出来れば選択したくない科目であったようだ。 英語学習は苦痛以外の何物でもなっかったのだ。

 何度か実施したアンケートから、彼らの経てきた中学校、高校時代の英語学習の実態が如実に判明した。いわゆる「英語きらい」の芽生えはここらあたりに遡ることがわかった。地道な学習はしたくないが、早く流暢にしゃべれるようになりたいという。 

 現代の多くの若者は英語を必要とし、英語に憧れながらも、英語の学習が苦手なのである。ここに日本の英語教育の問題が凝縮されているような気がするのである。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/

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