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2008/10/03

早稲田大学「戸塚球場」

 戦時最後の早慶戦を描いた映画「ラストゲーム・最後の早慶戦」をみた。試合が行われた場所は早稲田大学「戸塚球場」。

 昭和29年に入学したときには「安部球場」と呼ばれていた。早稲田大学の所在地が新宿区戸塚一丁目であった。卒業してすでに半世紀になるが、数人の仲間で小さな同窓会「戸塚会」をつくり、今でも毎年小旅行を楽しんでいる。

 引っ越し魔ながら戸塚でも一時暮したことがある。現在の明治通りと早稲田通りの交差点が戸塚二丁目ロータリー。とにかく戸塚は懐かしい名前。そして現在は「西早稲田・・・丁目」、「高田馬場・・・丁目」と変わっている。戸塚の名前は、かろうじて大学周辺の一画に「戸塚町」として残っているらしい。

 大学受験で上京した時に転げ込んだ高校の先輩の下宿は「小石川林町」であった。都電で「霞町」へ用足しに行ったりした。「田村町」から新橋を抜けて「尾張町」まで歩いたりしたものだ。今日、小石川林町は「千石二丁目」、霞町は「西麻布交差点」、田村町は「西新橋交差点」、そして尾張町は「銀座四丁目」となる。

 因みにわがふるさと京都市の町名はどうだろう。京都府庁の所在地は、京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町、京都市役所は、京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町480、同志社大学は、上京区今出川通り烏丸東入、そして私がよく立ち寄る京都文化博物館は、中京区三条高倉。具体的で結構わかりやすい。

 米国では、特に大都会は「番地」を知るだけで容易に目的地に到達することができる。わが国でも、特に大都会では行政上の都合で歴史的な地名がどんどん消えていくのが惜しまれる。京都を持ち出すまでもなく、地方都市に行けば、まだまだ歴史的な地名、町名が残っているのは嬉しい。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

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