昭和は遠くに
ハグロトンボを見かけなくなって久しい。薄い漆黒の大きな翅に細い金緑色の胴体を持つ美しいトンボである。一体彼らは何処へ行ってしまったのか。
ふるさと京都での子供の頃、真夏日の続く7月、8月、庭の植え込みの中を歩くと、木の葉っぱなどに身体を休めている無数のトンボ達が、いっせいに飛び立って、こちらの身体に当たりながら、シャカシャカと軽やかな羽音を立てたものだ。
時期的には盂蘭盆の頃。我が家ではこれを「おせらいトンボ」と呼んでいた。「おせらい」とは「お精霊」のこと。京都ではお盆に帰って来るといわれる精霊を「おしょうろうさん」とか「おせらいさん」と呼んでいた。この頃はどこの家でも墓掃除、仏壇の飾りつけ、迎え火・送り火など仏事に追われる。
うだるような昼過ぎ、北・西に開け放たれた部屋に寝そべって昼寝する。周りは蝉の大合唱。暑いながらも、時々涼風がすだれ越しに部屋を抜けていく。出入りの植木屋も弁当を使ったあとはしばしの昼寝。座敷の縁側で印半纏姿のまま大鼾をかいている。
こんな夏の午後には、近所の道や路地に人影もなく、町内全体が妙に白っぽく眩しく感じられる。蝉時雨の静寂の中、どこからともなく浪曲を唸るラヂオの音が。遠くでアイスキャンデー屋の叫ぶ声も聞こえて来る。
夜には蚊取り線香を焚きながら、乾いた匂いのする蚊帳に素早く潜り込む。遠くに聞こえる盆踊りの音頭にちょっと未練を残しながら眠りにつく。
今は便利ずくめの都会のマンション暮らし。そんな昭和も遠くなった。
*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html
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