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2008/06/25

京都・四条烏丸の今昔

最近、偶然ながらインターネット上で思い出深い懐かしい曲に再会した。それはアメリカの往年の名トランペッター、ハリージェームズのSleepy Lagoonである。

 昭和23、4年頃であったか、中学校で初めて英語を学び始めた頃であった。占領下の当時は東京・日比谷の総司令部に加えて、京都にも米軍司令部が置かれていた。場所は、四条烏丸の交差点・南西側。旧丸紅の「大建ビル」を接収したものであった。険しい顔つきで警備に立つMPの姿や、軍用ジープなどが頻繁に出入りする様子がが60年後の今日でも目に焼きついている。

 その交差点に佇んでいたとき、突然、拡声器から大音響で流れてきたのがこの曲であった。こんな背景の中でなぜ突然けたたましいトランペットが流れてきたのか、その後も聞きなれないジャズなどが拡声器で流されていたものだ。苦しい戦争が終わり貧しい戦後の真っ只中にいた日本人には、これは極めて奇異な風景にも思われただろうが、子供心にはこれがアメリカなんだという一種羨ましさと憧れの念がわいてきたのだった。

 司令部の向い側には、やはり四条通に面してアメリカ文化センターが、これも接収されたビルの中に置かれていた。図書室の書架には子供向けの童話や漫画も並べられており、日本人への貸し出しも行われていた。恐る恐るドアを開けて入ってみると、そこはアメリカそのもの。と言っても敗戦当時の日本少年がアメリカを知るはずも無かったのであるが・・・

 館内は英語の標識が見られ、アメリカ人スタッフの話声が聞こえてくる世界であった。チョコレートやチューイング・ガム、ラッキーストライクなどに代表されるアメリカの豊かさを見せつけられていた当時の日本人にとっては、まさに治外法権の別世界であった。スタッフのアメリカ人女性が貸し出証(今でいうIDカード)を親切に発行してくれた。もちろん書いてある英語は理解できないのだが、なにか大きな特権を得たような満足感があった。

 立派な図書室では、非番らしいGIが漫画や新聞を読んでいたりする程度であまり多くの人を見かけることはなかった。まして日本人の子供の出入りなどは極めて希であった。おかげでアメリカ人女性スタッフにもすぐ顔を覚えてもらうことができた。

 今は、すっかり暗渠になってしまった堀河、当時はまだ路面電車が悲鳴のような音を立てながら河畔を走っていた。河に沿って闇市があり、中古の鍋や釜、古着など、あらゆる種類の日用品を拡げていた。帰り道には縁日気分で時間をかけて物珍しそうに覗きまわったりしたものだ。

 四条烏丸の交差点を北に向って数百メートル、烏丸通りに沿って西側に「烏丸映画劇場」なる映画館があり、殆ど毎週末には「洋画」(アメリカ映画)を見に行ったのも丁度この頃であった。

 当時の司令部「大建ビル」(昭和13年・1938年竣工)は、現在はすっかり改装なり店舗、飲食店、シアター、オフィスなどが入居して、複合商業施設のCOCON KARASUMA(古今烏丸)として活躍しているらしい。毎年、祇園祭で賑わう7月には、交差点の東側に長刀鉾が聳え立ち、街をゆ人々に本格的な夏の到来を告げている。

@因みにハリー・ジェイムズ(Harry James)は、1916年、米国ジョージア州生まれ。10歳の時から、サーカス団のバンドリーダーであった父からトランペットを学び始めた。30年代半ばベニー・グッドマン楽団に所属したこともる。グレン・ミラーとも同世代。1939年自身のバンドを率いてペンシルベニア州フィラデルフィアでデビュー。1939年には歌手としてフランク・シナトラも参加。スリーピー・ラグーン(Sleepy Lagoon)は1942年に大ヒット。 1983年没。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

 

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