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2008/04/11

訃報・白髪一雄

 白髪一雄の訃報に接した。1966年3月にニューヨークで開催された第1回ジャパン・アート・フェスティバルでは、他の多くの作品に交じって具体美術協会のリーダー吉原治良とそのメンバー白髪一雄、元永定正の三人が展示された。具体美術協会は1954年に吉原治良を中心に関西で結成されたもの。

 いずれも250~300号の作品であった。大型の前衛作品群は、当時のニューヨークの展示会場においてもその存在感を示し、多くの鑑賞者の関心を呼んだものであった。日本画などと一緒に展示されることによって、わが国文化の多様性に対する外国人の理解と認識を深めさせた。

 流通技術や包装技術が今日ほど進んではいなかった当時、巨大な作品群の海上輸送、米国内巡回のためのトラック輸送には種々の困難がつきまとい、海外巡回美術展の裏方としてはかなりしんどい思いをしたものであった。

 白髪一雄の作品は1965年の三部作、「赤い扇」「緑の扇」「白い扇」の3点。 過日の東京・京橋のブリヂストン美術館のコレクション展示~コレクションの新地平(4月13日終了)の会場で偶然「白い扇」に再会した。懐かしさに「赤」と「緑」は何処にあるのかと当時を思い起こした。

 因みに吉原治良の作品は、こちらも1965年の三部作、「黒地に赤」「白地に黒」「黒地に白」の3点であった。いずれも一色の地を背景として「赤」「黒」「白」の巨大な円のみが描かれている。子供も大人も、素人もプロも鑑賞するときには表情が和らぐ作品であった。40余年後の今日でも、そこ此処の美術展でこれらの作品に再会することがあるのは嬉しい。

 ジャパン・アート・フェスティバルNY展当時、60歳であった吉原治良は6年後の1972年に亡くなった。そして41歳であった白髪も83歳で。ご冥福をお祈りする。(敬称略)

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/

2008/04/27

源氏物語千年紀

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  今、源氏物語がブームである。昨年来京都府、京都市を中心とした関西の行政、商工会、観光協会などが共同して源氏物語に関連した講演会、展示会、トークショー等種々のイベントを繰り広げている。メディアの取り上げ方、大学の特別講座、劇場での朗読会、美術工芸作品の制作なども広範かつ多彩である。

 これらの「源氏物語千年紀」事業は、「紫式部日記」に記録されている源氏物語の登場から数えてちょうど1000年が経過したということを根拠としている。

 我々の高校生時代には、国語古文として「徒然草」、「枕草子」、そして手強いながら「源氏物語」も最初の部分は少々かじったものだった。漢文は選択科目であったか。現在の高校生はどうなのだろうか。

 高校を卒業して東京の大学に入るまでは故郷の京都嵯峨野の生家で過した。友人仲間には、その家系が源氏物語にゆかりのある神社仏閣にかかわりを持つものも多く、まさに源氏物語の世界が幼い頃の日々の生活と遊びの場でもあった。野の宮、大覚寺、清涼寺、大堰川すべてそうだった。

 近年の源氏物語ブームには、与謝野晶子から最近の瀬戸内寂聴に至る現代語訳の出版がその原動力となっていることは否めない。若い人々や主婦の間でも一寸した話題になっているらしい。自国の文化に対する関心や理解を高めるには、やはり古典に親しむことが肝要である。その意味でこのブームは大いに歓迎したい。

参考までに関連サイトを下記に

http://www.pref.kyoto.jp/2008genji/ 京都府・源氏物語千年紀事業

http://www.bunpaku.or.jp/exhi_genji.html 京都文化博物館・源氏物語千年紀展

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」については下記サイト「ジャパン・アート・フェスティバルを知っていますか?」をご参照ください。http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/

 

    

2008/04/30

「昭和の日」

 4月29日が「昭和の日」と呼ばれるようになったことをすっかり忘れていた、と言うよりは知らなかった。「天長節」とは言わないまでも、昭和天皇の誕生日という認識は容易に変えることはできない。それほど昭和どっぷりの世代である。

 昭和10年は西暦1935年、大変区切りの良い数字である。西暦年度から25を差し引くことにより昭和の年度が容易に計算できたものだ。今でも家人と「昭和」を用いることが少なくない。例えばわが家では今年は「昭和83年」である。

 戦中派、戦後派などという分類は必ずしも正確ではない。例えば一部の昭和初期生まれの世代には、軍隊経験を含めた戦争体験がある。我々には戦時体験はあっても軍隊経験はない。

 昭和の日に因んで、新聞、ラヂオ、テレビなどが多彩な番組を提供していた。戦後を含めた昭和期の激動に改めて想いを馳せた一日であった。たった60年余の短い間におこった国際情勢の変転や科学技術の進歩は人類全体に大きな影響を及ぼした。

 同じ昭和生まれであっても、その経てきた時代は同一ではない。世代によって大きく異なる。我々よりも10年遅れて生まれてきた戦後世代、団塊世代の体験は我々のそれと同じではない。

 個人的体験はそれぞれが育った生活環境や条件によって異なることは言うまでも無いが、昭和の日を迎えて戦中戦後の一時期を雑然と振り返ってみたら以下のような事柄が頭に浮んできたが、皆さんはどうだろう。

●昭和17年(国民学校入学)~20年

アカイ アカイ アサヒ アサヒ、ハト コイ コイ、ヒノマルノハタ バンザイ バンザイ、ヘイタイサン ススメ ススメ

大東亜戦争、小国民、宮城遥拝、勅語、天皇陛下万歳、御真影、武運長久、慰問袋、千人針、出征・入営、伏見練兵場、皇軍、隣組、現御神(アキツミカミ)、米英鬼畜、トルーマン、蒋介石、チャーチル、ヒットラー、ムッソリーニ、欲しがりません勝つまでは、贅沢は敵だ、撃ちてし止まむ、一億一心、農兵隊、予科練、幼年学校

大本営、参謀本部・軍令部、聯合艦隊、山本五十六、中部軍管区情報、敵機来襲、空襲警報、警戒警報、灯火管制、防空頭巾、用水桶、火タタキ、砂袋、竹槍、集団疎開、縁故疎開、艦載機、グラマン、ボーイングB29、艦砲射撃、機銃掃射、轟沈、撃沈破、代用食、食糧増産、開墾、配給、衣料切符、国防婦人会、戦闘帽、国民服、モンペ、国防色、玉砕、学徒動員

高天原、豊葦原の千五百秋の瑞穂の国、天孫降臨、猿田彦命

紀元節、天長節、地久節、明治節、新嘗祭、神嘗祭、大詔奉戴日

バイ(ベーゴマ)メンコ、独楽、イカ(凧)、チャンバラごっこ、日光写真、模型飛行機、円錐壕、水練学校、武徳会、のらくろ、ススメフクチャン

●昭和20年(国民学校4年)~23年(小学校卒業)~26年(中学卒業)~

進駐軍、マッカーサー元帥、鈴木貫太郎、幣原喜重郎、片山哲、吉田茂、闇市、買出し、学校給食、脱脂粉乳、欠食児童、栄養失調、傷病兵士、新円・旧円、引揚げ船、復員、尋ね人の時間、かえり船、軍隊毛布、DDT、街頭演説、乾パン、放出物資、新制中学、東京ブギウギ、鐘の鳴る丘、靴磨き、帝銀事件、下山事件、三鷹事件、松川事件、朝鮮戦争、リッジウエー中将

●昭和29年(大学入学)~

お富さん(春日八郎)、第五福竜丸、鳩山一郎、力道山、洞爺丸、石原慎太郎、慎太郎刈り、名曲喫茶、名画座、新劇、特急つばめ号、外食券食堂、賄い付き下宿、太陽族、マンボ、ツイスト、etc., etc., etc.・・・・・・・・・

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」は下記サイトからどうぞ:http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/ 

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