落穂ひろい(8)それぞれの「三丁目の夕陽」
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ニューヨークで、第1回ジャパン・アート・フェスティバルが開催されてからすでに41年が経過した。本編エピローグでも述べたように、当時第一線で活躍した人々の多くは今はもうない。まさに光陰矢の如し、ゆく河の水を感じる今日この頃である。
ところで昭和十年生まれの私にとっては、「三丁目の夕陽」はそれほど古いことではない。幽かにではあるが幼少時代に戦前生活の記憶を持ち、戦中の国民学校生活や、学童疎開を体験したものにとって、昭和30年代はもはや日本人が戦後の困苦を脱しつつあったからだ。私にとっては「三丁目の夕陽」はやはり、戦中、終戦直後になってしまう。
子供の頃、家の近所には安政はおろか、嘉永生まれのお年寄りも住んでいた。仏壇の過去帳に密かに先祖の鬼籍を辿れば天保時代もすぐそこだった。古い土蔵の中には古銭、箱枕やお歯黒道具、塗り食器、脇差など江戸時代の生活用具や武具などが残っていた。
日光写真や幻灯機、苦労して作った鉱石ラヂオに興奮したのもこの頃。竹ヒゴや接着剤をつかって作った模型飛行機やグライダーも懐かしい。夏の夜は縁台将棋に蚊取線香、蚊帳の中での団扇。冬は登校前の焚き火など。
学生時代、京都への帰省は蒸気機関車で一晩がかりの東海道だった。今では、「のぞみ号」で2時間15分。パソコンは小学校や家庭にも普及し子供達も学習や遊びに利用する。さらに超多機能化した携帯電話の普及など、ここ半世紀の科学技術の目覚ましい発展には驚嘆するばかりだ。
科学技術の成果は、利用目的と用法さえ誤らなければたしかに人類に多大の恩恵をもたらす。しかし、その急激な発展に比べて人の心はどうだろう。便利さと豊かさが当り前になってしまった今日、道徳、教育、犯罪、環境への対応が大きな問題となりつつある。豊かさの中で、人はいつのまにか傲慢不遜に陥ってしまったのか。
精神の荒廃が憂慮されるとき、今一度人間性豊かな社会を取り戻し、次世代に引き継ぎたいものだ。・
*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」は下記サイトからどうぞ:
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