落穂ひろい(2)学童疎開
関連サイト:http://gastrocamera.cocolognifty.com/blog/2007/03/post_bf9d.html
「学童疎開」と聞いてすぐ分かる人は何パーセントくらいいるのでしょうか。日本が二度の原爆を体験して終戦となったのが昭和20年(1945)8月15日。そのとき、私は国民学校(現在の小学校)の四年生。アメリカの飛行機による爆撃を避けて京都府下、現在は亀岡市の山村に学童疎開をしていました。
その年の3月、親元を離れて縁故を頼って山裾にある小さな農村の藁葺の農家に預けられ地元の国民学校に通っていました。田舎に縁故を持たない同学年の大半の学童たちは、京都市の北東部、鞍馬の山中に集団疎開をしました。
疎開先の田舎の国民学校では、終戦にいたる8月までは、学校に行っても授業は殆どなく、毎日が開墾、農作業の連続でした。当時、「太郎は父のふるさとへ、花子は母のふるさとへ・・・」という歌が淋しげなメロディーで歌われていました。確か題名は「父母のこえ」と言ったか。
近年になって久しぶりにその地を訪れてみた。疎開中の夏休みに水浴びをして楽しんだ灌漑用の泥沼は、60年後の今もひっそりと山裾に佇んでいた。ただし、子供の気配は全くなかった。(平成17年8月)
戦争が終わり、再び親元に戻りもとの小学校に復帰したのは同じ年の秋頃。中国大陸をはじめ海外から引き揚げてきた多くの学童が、新しい同級生として加わっていました。ついこの間までは、「日本は神国である。必ず勝つ」と教壇を踏み鳴らしていた学校の先生達は、一転「民主主義・・・・々々」と大変でした。
翌年新学期の国語の教科書は、1メートル四方くらいの粗末なわら半紙に印刷されたものを、それぞれ家庭に持ち帰って鋏で切り揃えて頁を綴じたことを記憶しています。
*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」は下記サイトからどうぞ: http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html
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『写真・絵画集生 学童疎開 1親もとをはなれて』
逸見勝亭(監修・解説)/日本図書センター2003年
この表紙の子どもたちの笑顔……。今の子どもたちと比較して、幸せだったのかも……。ふとそんなことを一瞬思いました。
表紙の写真についての説明。下「」引用。
「1944年8月、疎開先の埼玉県北葛飾(かつしか)郡栗橋町の浄信寺で(神田区芳林国民学校5年生)。18畳の部屋に26人が寝ていた。」
教科書の間違い?�... [続きを読む]
国際芸術見本市始末記様
トラックバック有難うございました。
アートの方からだとはびっくりです。
「石うすの歌」は、学童疎開していた主人公に母親が訪ねてきてくれる。 そして、母親が広島へ帰っていった。
一日遅らせば良かったのに。読後感が複雑です。
名古屋にいた私の母は一日早く美濃町へ疎開したため、助かり、私がその後生まれました。
皆それぞれ歴史を背負っています。
よろしく。
投稿: 隻手の声(佐藤節夫) | 2007/04/13 00時31分
学童疎開の文章を読んで。
私は昭和32年生まれなので、戦争のことはわかりません。
私が思う以上に大変なご苦労があったと感じています。
私の父、母の体験談を少しだけ聞いたことがあります。
多分、父も母もあまりしゃべりたくは無いのではないでしょうか。
戦争に負け苦労して今の日本を作ってくれたおかげで私達はこのすばらしい日本で暮らしていけるのです。ありがとうございます。
これから、私達のやらなければならないことは、未来を担う子供たちのために地球温暖化を止めることだと思っています。
大きな意見をいってしまいましたが、ひとりひとりが少しずつでも何か役に立てるようにすればいいのではないかとおもいます。
できれば、終戦後どのようなことがあったのかをお聞かせ願えれば、私の今後の生き方もかわるのではないかと思います。是非お願いします。
投稿: やまびこ | 2007/05/20 06時08分
友人のトラックバックで見ました。
昭和10年生まれで国民学校1年生で入学、国民学校最後の22年卒業。
今年で卒業60周年の同窓会を開催しました。やはり疎開の苦しかったことが、脳裏から離れず、翌日
岡山県の疎開先を訪問しました。
いま思えば大変な時代でした、瀬戸内放送がTV
ニュースで取り上げてくださいました。
思い出をアルバムにしてHPにしました。
懐かしい記事を見せていただき、コメントしました。
投稿: あらさん | 2007/09/30 07時41分