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2007/03/03

第三部 エピローグ - 昭和十年生まれ

関連サイト:http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_df0a.html

・昭和十年生まれ

 さらに個人的な視点から当時の自分の心理状態を思い起こして見る。昭和十年生まれの自分にとって、一九六六年当時のアメリカは依然としてかつての戦勝国であり、それは、占領軍、進駐軍というイメージによって代表されていた。

太平洋戦争勃発の三ヵ月後に国民学校(現小学校)に入学、四年生の時に疎開先の京都府下丹波の山村で終戦を迎えた。

講和条約が結ばれるまでのその後の数年間は、京都の町を我が物顔に闊歩し、街頭や映画館の中で傍若無人に振舞うGI達の姿、そこではただうつむいて見ない振りをしていた日本人大衆がいた。

市内に置かれた司令部の警備に立つMPの険しい顔、戦後の貧困にあえぐ日本人を尻目に町を走り回るジープや軍用トラックは日本人の敗北感をより強いものにした。色とりどりの包装紙にくるまれたキャンディ、チョコレート、チューイングガム、缶詰、どれもかも彼らの豊かさの象徴であった。

そして終戦後二十年余、ジャパン・アート・フェスティバルの過程で接した人々は、我々がほんの十年ほど前までは強い羨望と畏怖の念をもって眺めていた戦勝国の将兵であった。実際に、横須賀や立川、横田を知っているとか、沖縄に居たという人々は少なくなかった。

きわめて当り前すぎる話ではあるが、今、目の前でつなぎの作業服を着て立ち働いている、どちらかといえば善良そうな職人達が私に指示を仰ぎ、私の指示に従っている。契約相手である企業のビジネスマンや高級幹部たちが、対等ではあるが礼節をもって取引に臨んでいる。奢ることなく誠意をもって接するならば、彼らもまた誠意をもって応えてくれる。  

多くの出会いの中で、友情を結ぶまでに信頼し合うことができたアメリカ人も少なくなかった。当然のことながらアメリカ人も普通の人間だった。こんな古い日本人の心理は、外人コンプレックスなどとは無縁な現代の日本の若者達には理解し難いことかも知れない。そして昭和二十年代生まれの団塊の世代は、果たして?

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」は下記サイトからどうぞ:http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/ 

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