第三部 エピローグ(おわり)-ゆめまぼろしの四十年
・ゆめまぼろしの四十年
今、こうして四十年余の昔を振返るとき、その時間の永さと重みがしみじみと感じられる。国際芸術見本市協会の設立やアート・フェスティバルの開催にかかわった内外各界の人々、そしてその運営に携わったわれわれ自身も、すでに多くが現役を退き、さらに多くの方々が鬼籍に入ってしまった。主役を演じた美術作家、工芸作家然り。ただ後に残された膨大な作品群だけは、世界中の美術館で、ギャラリーで、コレクターの下で益々輝きを増し、その名声を今に残している。
在任中に接触のあった組織、団体、企業など社会の構成分子のその後の浮き沈みも目まぐるしく、その栄枯盛衰を目の当たりにしてきた。当時には想像することもできなかった現実に生き永らえて、すべてがゆめまぼろしの如くはるか遠くに思い出される今日この頃である。(文中敬称略)
平成十九年一月 千葉県八千代市ゆりのき台にて
*本稿を書いている間にも、昨年12月には十返千鶴子氏、そして今年1月には嘉門安雄氏の訃報に接した。この場を借りてご冥福をお祈りしたい。
*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」は下記サイトからどうぞ:http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/
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不勉強にてジャパン・アート・フェスティバルは知りませんでした。
小生は趣味で文章書きなどをしておりますが、人間の「モノを表現する」という活動に大変興味を持っております。
時間が許す限り「国際芸術見本市始末記」を読ませてもらおうと思います。
また拙ブログ「とつぜんブログ」をよろしくお願いします。
「始末記」は終わりとのこと、その後ブログはやらないのですか?
投稿: 雫石鉄也 | 2007/07/17 05時31分
大学生時代に、2年ほど、この公募展のアルバイトをさせていただいたものです。持ち込まれる芸術作品を審査委員の先生方の前に持って行く仕事でした。
みなさんお元気で活発な意見が目の前で戦わされていたのを覚えています。東野芳明さんと中原祐介さんがわりと対立した意見のことが多かったかなあと、おぼろげに。
大きな樹木を数ミリ厚で薄くスライスして重ねただけの(?)作品は、その作家の人のお手伝いで、百枚以上のスライスを元の樹木に見えるように重ね並べる作業を手伝ったりもしました。
投稿: 渡辺 | 2012/10/11 01時44分
渡辺様
コメント有難うございました。東野芳明さん、中原佑介さん、針生一郎さんらも今では故人となられて、時代の経過を感じます。当時は30才そこそこであった小生も今年は喜寿をむかえました。同じ時代を共有する方からのコメント、懐かしく拝見しました。ありがとうございました。
投稿: Key | 2012/10/12 21時49分