第三部 エピローグ - 試行錯誤
さて、四十年後の今、改めてこの日記を読み返してみて幾つかの感慨がある。
・無意識の中の精神的ストレスか
その一つは、海外出張中はともすれば不眠症や胃腸の不快感に悩まされていたことである。単独出張が多かったこともあって、自分では気付いていなかったものの常に精神的な圧力を一身に受けていたところがあったのかも知れない。
一人旅は公私共に常に孤独であり、浅いビジネス経験の中では意思決定ひとつにしても、無意識のうちに緊張を強いられ、それが心身の負担となっていたのだろうか。
当時は、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコなどの大都会ではともかく、米国の地方都市では日本人と遭遇することは殆どなく、日本のプレゼンスを感じることも極めて希薄であった。そんなことから、無意識のなかにも孤立感、孤独感によるストレスを深めていたのかも知れない。
・試行錯誤が学習の教師
浅いビジネス経験といえば、協会発足当初は組織自体に事業の運営管理能力が十分に備わっていたとは思えない。この種の団体によくみられるいわゆるトップヘビーの組織構造であった。多くの内外有力者や公的機関の支援と協力を得ていたとはいえ、事業の第一線で仕事をする事務局スタッフの管理能力(知識と経験)には限界があった。
具体的には、国内外業者との契約体系の確立、巡回展移動に伴う作品管理、特に盗難、破損等事故発生時の責任所在の明確化、緊急事態発生時の対応などについては、今考えれば必ずしも十分な体制と意識レベルにあったとは言えない。試行錯誤が学習の教師であったと言うべきか。
*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」は下記サイトからどうぞ:http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/
« 第三部 エピローグ - ゆめまぼろしの四十年 トップクラスから新進気鋭へ | トップページ | 第三部 エピローグ - 昭和十年生まれ »
この記事へのコメントは終了しました。
« 第三部 エピローグ - ゆめまぼろしの四十年 トップクラスから新進気鋭へ | トップページ | 第三部 エピローグ - 昭和十年生まれ »
コメント