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2007/03/01

第三部 エピローグ - ゆめまぼろしの四十年 トップクラスから新進気鋭へ

エピローグ ~ ゆめまぼろしの四十年

・トップクラスから新進気鋭へ

 「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)」は、わが国のトップクラスの芸術文化を見本市として海外に紹介し、国際交流と併せて将来の芸術の輸出振興にも貢献しようという、当時としては一見奇抜、かつ、かなり強引な発想から始まった事業であったが、当初は素人集団とも言うべき小人数の事務局スタッフが実施、運営するというどちらかと言えば破天荒な試みでもあった。

良かれ悪しかれ新しい事業には、それに見合ったヒト・モノ・カネが必要となる。尋常な手段では果たして何年かかるか判らない国際芸術見本市のお膳立てを整えるための構図が先ず出来上がった。当初は政財界、美術界、作家はいずれも当代のトップクラスを巻き込んでの立ち上がりであったが、やがて新進気鋭の若手人材が参画することによって、より清新なプロジェクトへと変化していったのだった。

・残したい記録

ところで、「古い日記」はヒューストン展を最後に終わっている。果たして、あとの記録はあったのか、無かったのか、あったとしても何時、どうして散逸してしまったのかは分からない。また、手許に残された日記の内容には、その時々によって密度の濃淡があり必ずしも全ての事象を均一に伝えているとは言えない。

しかし、いま現在の視点に立って考察することによって、ジャパン・アート・フェスティバルの意義、わが国の海外美術展史上に果たした役割とその経てきた過程の概略は伝え得たものと思う。国際芸術見本市に関する記録や文書が殆ど現存しない今日、四十余年前の事柄を風化させないためにもこのような作業過程が必要であったと考える次第である。 

・協会事務局と麻生事務所

 思い起こせば一九六五年(昭和四十年)の暮れ、ジャパン・アート・フェスティバルがまさに具体化されようとする時期、たった数名のスタッフで構成される社団法人国際芸術見本市協会事務局に、対外的には渉外部長の肩書で採用されたのであった。ほぼ三年半勤務したロイヤル米会話学院を退職して、昭和四十一年の正月明けから麹町の協会事務局に勤務することになった。

協会事務局は、国電(現JR)中央線四谷駅から半蔵門に向って徒歩十分ほど、麹町の旧都電通り(現新宿通り)に面して立つビルの三階にあった。撤去寸前の都電の軌条を窓から見下ろす事務局に隣接して、協会理事長でもある民社党代議士麻生良方の「麻生事務所」があった。 

多くの国会議員と超党派的な交友関係を持っていた麻生議員らしく、当時は民社党の都・区議会議員のみならず、与野党の国会議員や秘書連中、選挙区内の中小企業経営者らが足繁く麻生事務所に出入りしていた。石田博英代議士の秘書で、まだ青年であった山口敏夫(後の労働大臣)などもその一人であった。時折、秘書連中たちを交えてマージャンなどに興じたものであった。

・その後も続いた米国出張

 私の米国出張はヒューストン展以後も続き、一九六九年末までの在任中にはニューオーリンズ(ルイジアナ州)、モーリーン(イリノイ州)、セントルイス(ミズリー州)、ロサンゼルス(カリフォルニア州)、フェニックス(アリゾナ州)の各都市でアート・フェスティバルが開催され、共催相手との折衝、事前準備、実施、事後処理など、なんらかの形でかかわることになった。この間の多くの人々との出遭い、エピソードやハプニングの数々は枚挙にいとまがない。

*その後の国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)は、開催地域を主として欧州、南米などに移して一九七八年まで継続されたことは、第一部で述べたとおりである。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」は下記サイトからどうぞ:http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/ 

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コメント

無礼なことですが、お名前を失念いたしました。
この懐かしい内容からみずもと?さんかしら。
名前は正確ではありませんが、この貴重な内容を
書ける方は僕の記憶では、しっかり顔や言葉つきは
浮かんでくるのですが、お名前がうろ覚えです。
いずれにしても、驚きました。父良方のことをネットで拾っていて出会いました。
消息をお知らせください。麻生良久

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