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2007/03/20

落穂ひろい(3)汽車・チッキ・電報

関連サイト:http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/it_13ee.html

今日、電子メールや、携帯電話は幼い子供たちでさえ日常的に利用しています。我々の世代にとっては、交通・通信、流通技術の進歩は目を見張るばかりです。今でこそ、パソコンやケータイは仕事には欠くべからずものとなっていますが、今から15年前を思い出してもらいたい。一部の専門家はともかく、パソコンはおろか電子メールの存在を知る日本人は殆ど居なかったはずです。

当時、米国から私達の事務所を訪ねて来たビジネスマンのグループが、一様にパソコンを会議室に持ち込んで会議の記録をとりました。会議終了後、その記録を米国の本社にメール送信をしたいが、とのことでした。残念ながら職場の仲間はそれが何を意味するものか誰もわからなかったのです。

学生時代の帰省列車。東京-京都間は、学生の分際では見分不相応な特急「つばめ」を利用しない限りは、もっぱら夜行列車でした。「明星」「銀河」「彗星」「月光」など優雅な愛称。座席を確保できずに通路の床に新聞紙を敷いてへたり込んだこともありました。所要時間は十時間余だったか。今日レトロなSLも、当時はノーチョイス。石炭の埃と匂いに悩まされながらの長旅でした。

実家から下宿への荷物は柳行李と布団袋が定番、これを国鉄(現JR)の切符に併せて手荷物扱として「駅留め」で送りました。チッキと言ったが「チェック」が訛ったものと言う。荷物は、上京して後日駅まで自分で取りに行きます。今日発送すれば、明日届く宅配便などは夢のような話でした。

銀行振り込み、キャッシュカードでの引き出し、さらにはクレジットカードでの引き落としなどは、想像もつかいない時代でした。生活費が無くなれば、電報で「カネオクレ タノム」などと親元に電報を打って、あとは認印を握り締めて現金書留の到着をひたすら待つ、というのが普通の学生のパターンでした。「金を呉れた、飲む」なんて冗談もあったくらいでした。

*本編「国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル)始末記」は下記サイトからどうぞ: http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9a53.html

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