第二部 国際芸術見本市始末記・ヒューストン展(2)
10月15日(日)(サンフランシスコ~ロサンゼルス~ヒューストン)
サンフランシスコからロサンゼルスへ飛ぶ。ロス空港で約五時間もの待ち合わせ! このあたりが、ただ乗り旅行の高くつくところか。コンチネンタル航空で、夜ヒューストンに到着。現在、ヒューストン・ナチュラルガス・ビル(Houston Natural Gas Bldg.)においてヒューストン展を開催中。
先発の新任事務局員、金澤氏の出迎えを受ける。今夜一晩はホテル・サヴォイ・フィールドに泊まることにする。
(明日、十月十六日からは2016 Main Apartment, Room1517の事務局借り上げのホテルアパートメントへ移転する予定だ。)
追記= 新任の金澤氏は、九月に協会事務局スタッフとして入職し、すでにニューオーリンズ展の準備にもかかわり、この時点ではヒューストン展の先発事務局として渡米していた。
・最後は独り
10月24日(火)
追記= この頃までには、先発の金澤氏もヒューストンを去り、ベッドルーム三室があるアパートメントには青柳氏との二人だけが残留していた。
事務局員最後の一人、青柳氏がヒューストンを去るに当って、午前六時十五分、共にグレイハウンドバスにてサン・アントニオに行くことにした(所要時間は五時間)。アラモの砦などを見て二時間半ほどグレイラインで回る。サン・アントニオから三十分の飛行でヒューストンに帰着(午後七時三十分)。そこで青柳氏を見送る。いつものことながら最後は独りだ。青柳氏はロサンゼルスへ向い上和田義彦氏(中曽根議員秘書)と合流する予定だ。
10月25日(水)
青柳さんも去り、広すぎるアパートメントに一人で暮すことになった。
終日ナチュラルガスビルディングの展示会場に詰める。夜七時―九時にはガス・コーポレーションの従業員達が見学に大挙して来場する。時々質問があり、それに答える。
追記= 先発事務局用の宿舎として借り上げていたアパートメントは、今日、日本でいうところのマンションあるいはホテルアパートである。什器備品を完備して、室内の掃除やベッドメーキングは毎日やってくれる。広いキッチンがあり、大型冷蔵庫、電気調理器具、鍋釜、食器類はすべて揃っていた。三室のベッドルームのほかに広い居間があり、テーブル、ソファがついていた。
10月26日(木)
終日会場に詰めて来観者の応対をする。
・デービッド・クン氏
夜、デービッド・クン氏(在ヒューストン・中国系アメリカ人)のKikoギャラリーで展示会のオープニングカクテル・パーティが開催される。南部の社交界、資産階級の来場多数あり。Kikoは奥さん(日本人)の名前から付けたもの。
事務室のロッカーには、過去の来訪者の住所録カードが整然と保管されている。いわば顧客カードで、その範囲は南部地域だけではなく全米をカバーしているらしい。新しい企画展の都度、このようなパーティを催すらしい。
追記= デービッド・クン
(David Kung)氏は中国系米国人。当時は美術評論家、画商として米国、日本で活動していた。日米の美術界要人との交流もありよく知られていた。第三回アート・フェスティバルのモーリーン展、セントルイス展などを提案し展示作家の選考などにも大きく関与した。
パーティの後、クン夫妻、同居の妹さんの四人でブレナン・レストランへ食事に行く。クン氏、料理がしょっぱすぎると言って給仕を呼び寄せ、「今日はシェフが休暇を取っているのか」と皮肉を言う。給仕は憮然として否定する。クン氏一流の皮肉である。彼のおなじみのシェフが笑いながら慌てて我々のテーブルへ駆けつけてきた。
ホテルに戻り、午前一時過ぎに家へ電話する。世津子、英明と話す。
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