第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(2)
・頑固な不眠症
1月10日(火)晴
十時起床。連日の不眠の揚句に、さすがに少しは眠れたような気がする。「みどり」で朝食。街に出てカフスボタンを求める。世津子より第一便が届く(六日の消印)。返事を書く。美術館で裏千家の早崎渉外部長に会い、茶道デモンストレーションのスケジュールについて打ち合わせる。
ドラッグストアで睡眠剤を買う。夕刻、東京事務局へ手紙。
1月11日(水) 晴、夜は雨
十一時にセントフランシスへ行き、タクシーで山田先生と一緒にデ・ヤング美術館へ向う。市長へのギフトについて打ち合わせる。美術館で東洋美術のキュレーターと話す。日本美術については実に造詣が深い。
早崎氏と茶道実演につき再度打合せをする。池坊グループが到着次第に、お互いに調整して、お茶実演のスケジュールを決定したいとのこと。
山田先生と共にホテル・マンクスのコーヒーショップで昼食をする。日本人街(Post & Buchanan)まで本を買いに行く。夜の不眠症対策だ。
三上氏より電話があって池坊の山本氏(在ニューヨーク)、棚橋両氏が到着したとの知らせ。日本アートセンターで山本、棚橋両氏と打ち合わせ後、三上画伯夫妻の招待により五人でトーキョー・スキヤキで食事する。明朝十時に美術館会場へ行く予定を早崎氏に連絡しておく。
1月12日(木) 晴
やはり騒音のためにあまり眠れなかった。フロントに掛け合って402号室へ移転する。ついに念願の「静かなる部屋」に!
約束どおり階下の「みどり」で池坊の山本、棚橋の両氏と共に朝食、お互いに情報交換。十時、三上氏と一緒にデ・ヤング美術館へ行く。裏千家の早崎氏とも合流して、広報担当のチャールズ・ロング氏に会い、お茶・お花の実演につき打ち合わせる。午後二時に三上氏事務所(日本アートセンター)での再集合を約して別れる。
三上氏宅へ行きインスタントラーメンをご馳走になる。ここでは貴重品だ。そののち金門橋(ゴールデンゲート・ブリッジ)付近を少々ドライブして美術館へ戻る。
東京池坊よりお花の展示用テーブルは既に航空便で届いていた。あとは生け花の展示場所に問題を残すのみだ。三上氏事務所に戻り、さらに打ち合わせる。
午後五時過ぎホテルに戻る。朝に受取った世津子からの手紙をやっと読む。夕食は「松屋」でビーフテリヤキを食う。夜、小説(水上勉)を読む。十一時就寝。
1月13日(金) 快晴
八時五十分起床。暖かい。部屋を替えたことは正解であった。サンフランシスコに来て初めて五時過ぎまで目を覚まさずに寝てしまった。
ホテル階下レストラン「みどり」で池坊の山本、棚橋氏らと出会う。十時に三上氏が迎えに来て、棚橋君らは三上氏と一緒に花材集めに出掛けて行った。十時半にデ・ヤング美術館へ向う。やがて裏千家早崎氏来る。一緒にお茶室ステージの組み立て作業を見る。
早崎氏の友人の車に便乗してフィシャーマンズ・ワーフへ。ワックス・ミュージアム、繋留汽船(バラクーダ号?)などを見て回る。埠頭から一人でケーブルカーに乗って一旦ホテルに戻る。ホテルで昼食後、しばらく休息。
午後、日本航空支店へ行き、とりあえず十八日のJL35便(九時発羽田行き)をリザーブしておく。ユニオン・スクエアのベンチでしばし日光浴をする。
午後四時、再び美術館へ。お茶室ステージはほぼ完成した。五時にお花の材料が搬入される。
午後八時まで三上氏事務所で、お花用の名札などを準備する。のち皆で中華街へ夕食に行く。午後九時三十分ホテルに戻る。
追記= これまでに記したように、サンフランシスコ展については
Japanese Art Centerの三上画伯に全面的な支援をいただいたわけであるが、今考えてもどのような経緯でこのようなことになったのかは思い出せない。山田先生も以前から面識があったようでもあり、画伯自身は裏千家、池坊とも関係があったような気がする。いずれにしても、すべて好意にもとづく無償の手伝いをしていただいたのだった。
・好評を博したお茶・お花
1月14日(土) 晴
裏千家の初日デモンストレーションは、午前十時、午後二時、午後三時、なかなかの人気だ。池坊の実演。展示会場では五名が稼動して十鉢を活けた。予定の二時三十分のデモンストレーションが実施されなかったのは一寸まずかった。
夕食はマーケット・ストリートに近い「三平」まで行って、てんぷらを食べる。夜、小説「山の音」(川端康成)を読み終える。
1月15日(日) 晴
ホテル向かいの松屋で朝食。レストランの女性店員はなんと学生時代の同じ下宿の住人「戸来さん」ではないか。一瞬自分の眼を疑った。九年ぶりの奇遇、それもサンフランシスコでとは、世界は狭い! しばらく昔話に花が咲く。
今日は日曜日、ケーブルカーでフィシャーマンズ・ワーフへ。観光ボートで一時間半近くサンフランシスコ湾を回る。アルカトラズ島、ゴールデンゲート・ブリッジを巡る。港からケーブルカーに乗って三時過ぎホテルに戻る。
1月16日(月)快晴
朝、広報担当のロング氏に電話する。市長へのギフトの贈呈は今週には難しいということが判明する。帰国を早めて、急遽日本航空の予約をキャンセルして、パンアメリカン001便(十七日)を申し込む。デ・ヤング美術館へ行き、今後の段取りを練る。池坊山本、棚橋の両人と向かいのアカデミー・オブ・サイエンスで昼食をする。普段は控えているコーヒーの所為か胃の不快感あり。
夜、東京事務局へ国際電話を入れ現状を報告し、明日帰国することを伝える。
追記= 共催者が美術館である場合には、会期中の管理は概ね先方に任せることになる。少なくとも展示中の作品管理については十分信頼することができる。
1月17日(火) (サンフランシスコ~ )
六時起床、九時サンフランシスコ発、ホノルル経由、羽田へ。
1月18日(水) ( ~東京)
帰国。事務局一同に迎えられる。
二月十五日のサンフランシスコへの再出張までの約一ヶ月間、事務局スタッフの精力は、もっぱら第二回アートフェスティバル(ホノルル展ほか)の準備作業に集中し始めた。第1回と比べて規模こそはかなり縮小されたが、海外展を仕上げるための一連の仕事は相当のエネルギーを要求する。
« 第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(1) | トップページ | 第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(3) »
この記事へのコメントは終了しました。
« 第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(1) | トップページ | 第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(3) »
コメント