第二部 国際芸術見本市始末記・ピッツバーグ展(4)
8月15日(月) 曇り、時々雨
九時起床。いささか寝不足だ。
麻生理事長はすでに日本を出発してシアトルに向っているはずだ。ニューヨーク総領事館(大井領事)へ電話を入れる。理事長のニューヨーク到着は八月十七日、二十時四十分、ノースウエスト180便であることを伝えて空港出迎えを依頼。
ギンベル会場を覗き、そのあとゼーンのオフィスを訪ねる。隣のTWAオフィス(ヒルトンホテル内)で、帰国ルートの飛行機手配を依頼しておく。ストライキは今週中に解決の気配だ。
夕刻、ニュー・チャイナインへ行く。試しにローメン(Loo Mein)を食べる。なかなか美味かった。事務局へ報告の手紙を書く。
8月16日(火) 曇り、時々晴れ
午前八時、フロントからの電話で起こされる。東京より速達便とのこと。麻生理事長予定について風間さんからの速達便が届く。
午前中そして午後もギンベルの設営会場へ行き開梱、展示作業を見守る。作業の職人達は、終始冗談を言い合いながらもよく働いてくれる。その中の一人が、「全ての日本人はロシア語が堪能だ」と真顔で仲間たちに言いふらしていた。連中もそれを本気で信じているようだった。
午後、アレゲニー航空に電話をいれ、理事長の予約をコンファームしたが予約されていないとのこと。理事長に確認すべくシアトルの総領事館へ電話を入れる。午後九時に折り返し電話があって理事長が電話口に出た。フライトの予定などを伝える。
夜はベッドでニューズウイークを読む。
8月17日(水) 晴
八時起床。再びアレゲニー航空へ連絡を入れる(理事長の座席は予約されていた! アメリカではこんなことは日常茶飯事だ)。
朝食後、十時に展示部長スナイダー氏のオフィスへ行き進捗状況を確認する。アルバイトの女子学生に手伝わせて、各作品にナンバーを貼らせる。終日会場で作業に立会う。
女性の会場警備係りと話す。女子大生のアルバイトらしいがなかなかしっかりしている。自衛防具の使用法なども十分に訓練を受けているとのこと。
昼過ぎに大井領事夫妻が到着。ハーワード・ジョンソン(Howard Johnson)が予約できていないということなので、ゼーンに頼んでシビックセンター・モーテル(Civic Center Motel)を手配する。後刻、大井さんより電話があり、シビックセンター・モーテルは大井夫人も大変気に入ったとのことであった。早速ゼーンにその旨伝えた。
十一時、ニューヨークのスタットラーヒルトンへ電話するが、麻生理事長の登録は無いとのこと。十一時半、理事長より電話あって、グロブナー・クリントン(Grosvenor Clinton)に変更したとのことであった。
・NYからVIP到着=ピッツバーグ展始まる
8月18日(木) 晴
現在、すでに十九日(金)の午前一時。昨日は忙殺の一日であった。
午前八時に起床。十時にギンベル会場へ。作品ナンバーをつける作業で午前中が終わる。
午後一時、ウォルドマン広報部長とともに大型リムジンで空港へ向う。空港で大井領事夫妻と落ち合う。定刻午後二時八分に麻生理事長、東郷文彦ニューヨーク総領事夫妻がニューヨークよりアレゲニー航空で到着。撮影のためギンベル百貨店よりプロカメラマンの派遣あり。一行は共にヒルトンホテルへチェックイン。
午後四時三十分、ゼーンに先導されてKDKAのスタジオへ向かう。ラジオインタビュー及びテレビインタビューに応じる(ベトナム問題が中心的話題となる)。すでに到着済みの在米作家(猪熊、富岡の両画伯)、NYジャパン・トレードセンターの丸尾所長らも同席する。日本国内における米軍基地問題についての質問などあり。
麻生理事長、東郷総領事夫妻を案内してギンベル展示会場の下見をする。一旦ホテルに戻る。この間に洋服を着替えて再びヒルトンホテルへ行く。
午後七時十五分、大型リムジンで再びギンベル百貨店の展示会場へ向う。エドワード・スミス氏(Representative, Dept. of Commerce)、スクラントン州知事代理、Mr. Barr(ピッツバーグ市長)らと土産品、書籍などの進呈、交換をおこなう。午後十時、プレスクラブへ移動して遅いディナー。
一行は午前零時前にヒルトンに戻る。ピック・ルーズベルトの自室に戻ったのは午前零時過ぎ。かくて一日が終わった。長い一日だった!
8月19日(金) 曇り
午前八時起床。朝食後、理事長が持参した東京事務局からのテープを聴くべくテープレコーダーを借りるためにゼーンのアパートメントに行くがすでに出かけた後だった。
午前十時にヒルトンホテルへ。十一時三十分、市長から開会宣言書をもらうために市庁舎へ行く。市長室でバー市長と一時間ほど話す(麻生理事長、ゼーン・クナウス、ウォルドマンの諸氏)。当地の日本人女子交換留学生も同席する。
十二時三十分、ウォルドマン氏の運転でグリーンオーク・カントリークラブへ。彼らはハーフラウンドのゴルフ。ウォルドマン氏の甥も同行する。キャディーはおらずカートを自分で運転するコースだ。こちらはクラブハウスで涼みながらもっぱら雑誌や新聞を読む。
帰途ウォルドマン氏宅に立ち寄る。理事長は寝室のベッドを借りて暫し昼寝する。その間夫人がなにかと気を遣ってくれる。
午後七時にヒルトンホテルへ戻る。理事長の発案で今朝ほどの日本人交換女子留学生及びその友人のアメリカ人女子学生を夕食に招待する(ホテル内レストラン)。その後アメリカ人女子学生の運転、案内で暫時ピッツバーグ市内、郊外へドライブに。午後十時ホテルに戻る。ノースウエスト航空のストライキは解決して、二、三時間内に飛行開始するらしい。帰国予定は依然はっきりしない。
8月20日(土) 晴
午前六時三十分に起床。七時三十分、ゼーン・クナウスの事務所へ行きテープレコーダーを借りて、東京事務局からの事務連絡を聴く。青柳、風間、大和運輸安川の諸氏が吹込んでいる。手紙より要領を尽くして便利だ。
ウォルドマン氏と麻生理事長は昨日に引き続いてゴルフに出かけた。こちらはゼーンとともにヒルトンホテルへ行きレストランで朝食。朝食後彼の事務所へ行き、ユナイテッド航空へ電話をして、二十一日のニューオーリンズ行きを予約する。後ほどペン・シェラトンへ行ってその切符の購入手続きを済ませた。
午後四時、タクシーでウォルドマン氏宅訪問。二人はすでにゴルフから戻っていた。夕食にすき焼きなどをご馳走になり、午後九時三十分、息子さんの運転で理事長とともにヒルトンへ戻る。十一時三十分にピック・ルーズベルトホテルに戻り荷物を整理。風呂に入って寝る。
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