第二部 国際芸術見本市始末記・ピッツバーグ展(6)
8月25日(木) (ホノルル) 快晴
七時半に目が覚めてやむなく起床。ホテルの食堂で朝食。気分は爽快。十時から一時間ほどホテル脇のコダック・フラショー(野外フラダンスショー・無料)をみる。
十二時に浜中領事の迎えがあり、車でワイキキビーチに面したロイヤルハワイアンホテルのテラスへ。昼食。今日中にホノルル展会場を決定したい旨を浜中氏に伝える。
・第二回アート・フェスティバルの会場選び
一時半にヒルトン・ハワイアンビレジへ。ミセス・メズラシ(珍しい名前!)の案内で、ホノルル展示会場の候補としてビレジのドーム内部を見せてもらう。暗い、古い。建物は異型でディスプレーの難しさあり。一日三五〇ドルの賃貸料も高すぎる。次に隣のイリカイホテルへ行く。ボールルーム(パシフィックルーム)を見る。フロア全体にじゅうたんが敷かれている。確かに素晴らしい。最も有望だ。問題は値段。担当者のリーチ氏とは明日九時に会う約束をして辞す。
カイマナホテルに戻り、部屋を七階の見晴しのよい部屋に換えてもらう。浜中領事より連絡があって、明日の日航機は35便(午後一時十分発)がOKになっているとのこと。
大量の洗濯! 風呂に入る。ホテル九階のレストランで刺身定食。そのあと海岸のヤシ並木を少し散歩、途中コーヒーショップに立ち寄りパンプキンパイをひとつ。午後九時過ぎにホテルに戻る。十時四十分に床に入る。
8月26日(金)(ホノルル~東京)
ホノルルは晴。七時起床。早めに荷物を片付けて朝食を済ませる。八時半にチェックアウトしてホテルのロビーで浜中領事の車を待つ。
八時四十五分にカイマナホテルを出て、九時にイリカイホテルでマネジャーのノーマン・リーチ氏に会う。数日中に当方の最終回答を出すことを約束する。その足でダウンタウンへ。ハワイ日本人商工会議所を訪ね会頭の足立氏(日系二世)と会い三十分ばかり話す。フェスティバルへの協力を約束してくれる。総領事館に立ち寄るが、山本総領事は不在にて会えず。そのままホノルル空港へ向かう。
リザーブできているはずの日航35便が駄目だと言う。急遽パンアメリカンをスタンバイするがこれも駄目。結局、浜中氏の強力な談判で、やっと35便に乗れることになった。 約一時間送れて午後二時過ぎにホノルルを発った。
8月27日(土)
日本時間午後四時二十五分羽田空港に到着。大和運輸安川、青柳、風間の諸氏、世津子、かっちゃん、英明に迎えられる。車で家まで。
8月28日(日) 晴
時差ぼけで終日うとうとと眠ってばかり。夕食も食べず、風呂にも入らず。さすがに疲れが出たらしい。
8月29日(月) 晴
朝風呂に入る。一ヶ月ぶりの事務局出勤だ。昼食はリドで風間さんと。
8月30日(火) 晴
十時出勤。青柳、風間両氏へ土産を渡す。ハワイ関係機関への礼状などもっぱら手紙の作成。ピッツバーグのゼーンより便りが届く。
8月31日(水) 晴
協会スタッフとして新人の相沢さんが初出勤する。小林さん(克己さんの弟さん)の紹介とか。帰途、ロイヤル米会話学院(前職場)に立ち寄り、金澤朗氏(学院講師でもある)へウイスキーを渡す。
9月1日(木) 晴
終日怠惰な一日を過ごす。
昨日天安門広場の紅衛兵歓迎集会で中国全土から五十万人結集との報道あり。
9月2日(金) 午後から曇る
サンフランシスコ総領事館(和田総領事)、ニューオーリンズ総領事館(奥田総領事)へ礼状を書く。
9月3日(土) 晴
本日青柳氏欠勤。
帰途新宿駅に立ち寄り、小田急江ノ島行きロマンスカーの切符を購入する。小田急デパートで英明のための「電車」の模型を探すが適当なものがない。高田馬場で下車して曽根さん(ロイヤル米会話学院のオーナー・本業は建材業)宅に立ち寄り暫く話す。会話学校もピークが過ぎたらしい。成増駅でバナナ二房を買って帰る。今日はかっちゃん(義妹)が来たとのこと。
9月4日(日) 晴、午後曇り一時小雨もあり
朝から英明を連れてタクシーで朝霞テック(朝霞市内の児童遊園地・当時、本田技研グループの運営)へ。ゴーカートなどに乗せて遊ばせる。午後一時半に再びタクシーで帰宅。
9月5日(月) 曇り
涼しい。やや寒いくらいの一日であった。事務局は風間君が欠勤。青柳さんと話し込んで帰宅は午後七時五十分頃。財政状況にかかわらず協会は存続せざるをえないだろう。すでに計画は走りつつあるのだから。
世津子は、婦人体育委員会とかで集会所へ行っている。
・束の間の罪滅ぼし
9月6日(火) 薄曇
朝のうちはやや涼しい。休みを取り、海を見たいという英明の希望をかなえるべく江の島へ行くことにした。出張続きの罪滅ぼしか。六時起床、おにぎりなどを作って九時十分新宿発、小田急電鉄江の島行きロマンスカーに乗車。
十時十四分に江の島着。エスカー(ロープウエー?)に乗って江の島頂上へ。植物園内の展望塔、洞窟、汽船など。江の島海岸に戻り砂浜で遊ぶ。
日帰りの予定を急遽変更して箱根行きを決断する。藤沢駅で旅館の紹介を受け、帰りの急行券を犠牲にして乗車券の払い戻しを受ける。藤沢~(国鉄)~小田原~(登山鉄道)~強羅へ。午後六時過ぎ、大文字別館に到着、風呂を浴びてから夕食。部屋の窓から望む山々は黒々とまるで墨絵。カラスの鳴き声がこだまする。夜、青柳氏に電話を入れて、明日の欠勤を伝える。
9月7日(水) 薄曇
八時起床。朝食、十時十五分に旅館を出る。強羅~(ケーブルカー)~早雲山~ (ロープウエー)~大涌谷展望台~桃源台(芦の湖畔)、湖畔で竹の鶯笛を買ってやる。観光船(パイオニア号)で元箱根へ。バスで箱根湯本へ出る。小田急ロマンスカー湯元発午後三時十二分、新宿着四時三十四分。午後五時三十分大和町(現和光市)に帰着。
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