« 第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(4) | トップページ | 第二部 国際芸術見本市始末記・ホノルル展(2) »

2007/02/23

第二部 国際芸術見本市始末記・ホノルル展(1)

第二回ジャパン・アート・フェスティバル=ホノルル展

 

 

 

 

五月に義母が急逝したことは、九月に第二子の出産を予定していた世津子にとっては少なからぬ精神的打撃であったことは否めない。長男は四歳となり四月から大和町駅(現東上線和光市駅)に近い「子羊幼稚園」年少組として通園していた。海外出張が打ち続く気ぜわしい気分のなかではあったが、次のアート・フェスティバルのための国内、海外準備は遅滞なく進められねばならなかった。

 

 

 

 

近くに身内の少ない環境での海外出張は、なにかと気がかりなことが多いものであったが、もともと少人数世帯の事務局では、ましてや国際業務に関しては交代要員も無く選択の余地はなかった。ただ、今度の出張先が地理的には近いハワイであることが、随分気持ちを楽にさせていたことは確かであった。

 

 

 

 

 

 

8月2日(水) (羽田~ホノルル)

 

 東京は曇り。羽田発は例によって、午前十時JAL002便。今回は事務局からは国分(旧姓相沢)さんが同行。時差の関係で前日の八月一日午後十時三十分にホノルル着。ホテル・イリカイ(The Ilikai)に入る。ホノルルは快晴。国分さんはワイキキサークルヘチェックインする。

 

 

午前中にアジアティック・フォーワーダーズ社のG・中道氏より連絡が入る。ホノルル総領事館へ電話を入れて、午後、中道氏と一緒に訪問する。浜中領事と打ち合わせる。浜中氏の紹介でハワイ・ビジターズビューローの林田氏及びミセス・ホールを訪ねて、ジャパン・アート・フェスティバルに対するホノルルの日本人コミュニティの協力の可能性について話を聞く。

 

 

 

 

8月3日(木) (ホノルル)一時小雨、晴

 

 七時起床。自室の窓は全面開放で太平洋が一望千里、水平線が素晴らしい。

 

 

八時三十分浜中領事の迎えで総領事館へ行く。総領事館でプレスインタービューを受ける。邦字新聞はハワイ・タイムズ(The Hawaii Times)、ハワイ報知(Hawaii Hochi)。ラジオ出演は、KOHOの生放送を予定する。KZOOの録音取材もあった。放送は八月五日午前八時十五分の「朝の訪問」とのこと。

 

 

 

 

アジアティック社の中道氏がホテルに来訪する。東京に電話を入れてパッキングリスト、インボイスの送付を依頼する。国分さんは封筒(レセプション招待状用)の整理。

 

 

夕食は国分さんと一緒に京屋(日本料理レストラン)で。

 

 

 

 

・ホノルル日系人社会の協力を得て

 

8月4日(金) 晴、時雨

 

 午前十時三十分、ワイキキの日航事務所にタカバヤシ夫人を訪ねる。金曜日はアロハデーとかで、職場では女性はムームー、男性はアロハシャツスタイルである。夫人はホノルル日系女性コミュニティの元締めのような人らしい。開催中の会場アテンダントの協力手配方を依頼する。展示場内の監視、来訪者の受付、カタログ販売などだ。

 

 

 

 

十二時に日本人商工会議所へ昼食に招待される(会議所の藤川氏及び文化部のメンバーにも協力を求める)。

 

 

午後二時、総領事館で山本総領事に挨拶をする。日本からの使節団受け入れの件について協力をお願いする。浜中領事と相談してレセプション招待者リストを最終決定する。浜中氏の紹介で税関のDr.ムライに会う(G・中道氏も立会う)。

 

 

 

 

夕方、ホテルに隣接するヒルトンの広いラグーンでゆっくり泳ぐ。独り占めのラグーンである。午後六時、東京(青柳氏)より電話。パッキング・リスト及びインボイスはBOAC(英国海外航空)のアダチ氏に託したとのこと。

 

 

 

 

 

8月5日(土) 晴

 

 BOACのサカイ氏より電話があって、インボイスについては不明だとのこと。アダチ氏は休暇でロサンゼルスへ行っているとのこと。東京の事務局へ電報を打って再送を依頼する。

 

 

タカバヤシ夫人より電話があり、四人交代のシステムで会場アテンドを引き受けてくれるとのこと。万事はヤマサキ夫人に頼んでくれるとか。

 

 

 

夕刻、ヒルトンラグーンで約一時間泳ぐ。七時半よりワイキキ映画館で「007は二度死ぬ」 (You only live twice)を観る。舞台は日本、丹波哲朗が出演、浜美枝がボンドガールを演じている。

 

 

 

 

・ホノルル婦人会のボランティア

 

8月6日(月) 晴

 

 タカバヤシ夫人から電話があり、ボランティアの会場アテンダントとして三十名が確定、毎日二交代勤務ができるとのこと。ハヤシダ夫人からも電話が入る。ハワイの女性達は皆親切だが自己主張は強い。ボランティアの人たちの駐車券にホテル側のvalidationを取り付けて欲しいとの要請。要するに駐車料金は免除して欲しいとのことだ。当然だろう、ホテル側と交渉して了解を得る。

 

 

BOACのサカイ氏より連絡あって、インボイスとパッキング・リストをホテルへ届けてくれた。

 

 

 

カスタム・ブローカー(通関業者)と一緒に税関へ行く。工芸品については、米本土輸入(NY展)の際には無税の取扱いを受けたとの実績を強調する。勿論全品の再輸出が条件ではあったのだが。しかし美術品以外の展示用資材などについては十六%~二十%の関税を支払えとのことである。また、振り出しに戻り、一からの闘いとなった。

 

 

招待状五五三通を郵送した。中道さん、本日よりイリカイホテルに移ってきた。

 

 

 

 

8月7日(火) 午前中雨

 

 引続き招待状を準備する。

 

 

午後二時三十分~三時、KTRGTVのスタジオで約三十分間のインタビューを受ける。

 

 

 

 

・税関対策あの手この手

 

 関税七〇〇ドル(推定)(当時の為替レートで二十二万五千円)の支払いを免れるについて山本総領事に連絡するが、総領事館の協力は期待出来そうにもない。当然だろう。いたしかたがない。

 

 

中道さんと総領事館へ行く。通関の件で浜中領事と話す。申告価格は次の通りとして数字を極力抑える。

 

 

 申告価格:    絵画         28、490ドル

 

 

          版画          4、680ドル

 

 

          工芸品        16、274ドル

 

 

          ディスプレー資材    3、634ドル

« 第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(4) | トップページ | 第二部 国際芸術見本市始末記・ホノルル展(2) »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 第二部 国際芸術見本市始末記・ホノルル展(1):

« 第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(4) | トップページ | 第二部 国際芸術見本市始末記・ホノルル展(2) »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ