第二部 国際芸術見本市始末記・ピッツバーグ展(8)
9月22日(木) 雨降ったり止んだり
六時起床。倉庫への道を間違えてリバーティ街(Liberty 24th )へ出てしまう。再びダウンタウンに引き返してサウス・サイドへ。終日、梱包作業に立会う。作業服にズック靴スタイルだ。
米国の労働組合は産業別、職種別。同じ企業内にいくつもの組合がある。大工、展示職人、運転手、電気工、店員、Etc.すぐ傍で職人達が重量物の扱いに悪戦苦闘していても、組合が違えば隣で笑って見ているだけ。手伝うこともない。手を出してはいけないのだ。
午後五時にホテルに戻る。夕食はチャイナインにてチョプスイとライス。
・早い北の冬
9月23日(金) 晴
朝のうちはかなり寒い。殆どの通勤者はコートを着始めた。北部では、夏が終わると直ぐに冬が来る。街の木々はいつの間にかすっかり黄葉している。
八時前にホテルを出てドラッグストアで朝食。九時二十五分に、第一号トラックがギンベル倉庫に到着する。荷積み開始。終日作業に立会う。ドラッグストアで夕食を済ませ、夕刊ポストを買って午後五時にホテル自室に戻る。夜、洗濯を少々。
9月24日(土) 快晴
寒い。北の冬は早い。土曜日にて午後二時までの時間をもてあまし、運動を兼ねてもっぱら散歩。カウフマン、サックス・フィフスアヴェニューなど(共にギンベル系列の百貨店、女性用品専門店)などを覗いてみる。
午後二時にモノンガヘラ川渡船場から遊覧船ゲートウエー・クリッパー号に乗り込む。四時半までオハイオ川などを航行する。子供連れの女性が多い。かなり寒かった。
追記= ピッツバーグ市街地は、モノンガヘラ川とアレゲニー川が合流する三角州にほぼ位置している。合流した川はオハイオ川となって南下、やがてミシシッピ川に合流する。
夜、Postを読む。先ほどゼーンより電話あって、明日はアメリカンフットボールの観戦を約束する。
・初めてのアメフト観戦
9月25日(日) 雨
あいにくの雨。雨でもアメフトの試合はあるという。ゼーンとの約束で十一時過ぎに彼の事務所で落ち合い、ヒルトンのコーヒーショップで小休止。寒いのでゼーンのコートを借りてピッツバーグスタジアムへ行く。小雨の中での試合はピッツバーグ・スティーラーズ対ワシントン・レッドスキンズ(Pittsburgh Steelers vs. Washington Red Skins)だ。ルールの概略はゼーンが解説をしてくれる。
27対33でワシントンの勝利。地元ファンが悔しがることしきり。それなりに面白い。チアーリーダーは見ものだった。
追記= チアーガールズは今日、日本で盛んであるが当時には存在しなかったものだ。一九七〇年代の後半になって、アメリカンフットボールの試合などに付随してチアリーディングとしてわが国にも移入されたもの。
帰路、コンサートホールに立ち寄る。ゼーンが広報を委嘱されているピッツバーグ交響楽団の常任指揮者ウイリアム・スタインバーグ氏を紹介される。十五分ほど話す。群馬交響楽団のことをよく知っていた。学生時代の映画「ここに泉あり」のことなど思い出す。バスでホテルに戻る。ニュー・チャイナインでマッシュルームスープとチキン・ヤッカメンを食べる。
9月26日(月) 曇りのち晴
七時起床。ホテルの隣のドラッグストアで朝食を。カウンターの女の子は顔を覚えてくれたらしい。いつも帰り際に少額のチップをカウンターに置く。
八時半にギンベル倉庫に着く。本日で梱包作業を完了した。
帰途、ギンベル・ストアに立ち寄ってトップコートを買う。店員が、大人サイズは大きすぎるのでボーイズショップへ行けと言う。そちらの売り場へ回って手ごろなのを見つけた。十五ドル九十九セントは安い。夜、NYのゴードン夫人と電話で話す。
中部、関東地方に台風(台風二十六号)、最大級の被害とのニュースあり。洗濯する。
9月27日(火) 曇り
ドラッグストアで朝食後、倉庫へ行く。午後二時、二ケースを残して全てを二号トレーラーに積み込む。ギンベルに立ち寄ってから、ヒルトンホテルのユナイテッド航空カウンターへ。ピッツバーグ~シカゴ(二十八日)、シカゴ~サンフランシスコ(二十九日)を予約する。ゼーンの事務所に立ち寄って暫く話す。
ホテル自室から、オハイオ州クリーブランドにある日本航空事務所へ電話をする。これがピッツバーグに最も近い日航事務所である。遠くに来ていることを実感する。サンフランシスコ発羽田行きの日本航空は、二日発以外は全部ふさがっているとのつれない返事。パンアメリカンに電話して、一日午後十二時三十分発を確保する。
明晩のシカゴはピック・コングレス(Pick Congress)をリザーブしておく。夜、チャイナインへ行ってヤッカメンを食べ、帰途コーヒーショップに立ち寄りアイスクリームを食べる。
9月28日(水)(ピッツバーグ~シカゴ)晴れたり曇ったり
早朝より正午までギンベル倉庫でトラックの到着を待つが、結局、トレーラーは明日になるとのこと。こちらが口出しできないところである。あとは運を天に任せて、荷物が無事にシカゴへ到着することを願うのみだ。
ゼーンのオフィスを訪ねて、二人でゲートウェイ・タワーズ二十七階のレストランで昼食。ヘレン(ゼーンの妻)に別れを告げて、ゼーンとともにギンベル・カウフマンへオリエンタル特集を見に行く。コーヒーショップで一時間ばかり話して午後六時半に別れる。名残惜しく一抹の淋しさあり。
ホテルに戻って荷物を受け取り、リムジンバスで空港へ。予定より十分遅れて午後九時二十分にピツバーグを発った。シカゴ到着は午後十時(現地時間)。ミシガン通りのピック・コングレスに泊まる。一泊二十ドルにはたまげたが!
すでに零時過ぎ。とにかく眠ることが先決。すぐ床に入る。
9月29日(木) (シカゴ)曇り、風強し
七時半に起床。朝食後直ちにシカゴ美術館へ行く。学芸員ミス・ジェントルズに会い、チーフ・キュレーターのスーウェル氏の帰りを待つ。十一時半スーウェル氏に会い展示会開催期日について回答を求めるが、例によって弁解あるのみで何ら要領を得ない。いつもにこにこ顔で人は良いのだが、ビジネスが全く駄目なのは仕方がないか。
シカゴ総領事館に立ち寄って菊地領事と会う。ホテルに戻り、サンフランシスコ総領事館へ電話を入れて、明後日のM・Hデ・ヤング美術館(サンフランシスコの美術館)とのアポイントメントの取り付けを依頼した。シカゴの次の開催地として開催時期などを確定しておかねばならない。
JALオフィスに行って、チケット(サンフランシスコ~羽田)をパンアメリカン航空にエンドースしてもらう。当日に座席提供ができない日航としてはやむをえないこと。事務局へ電報して十月二日の帰国を伝える。
夕刻、滞在時間が短いせいもあって、闇雲に街を散歩して回る。ホテルのコーヒーハウスで夕食。ゼーンに電話するがヘレンが出て、彼は外出中とのこと。シャワーを浴びて十時に床に入る。
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