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2007/02/15

第二部 国際芸術見本市始末記・シカゴ展(5)

・シカゴ展の撤去とサンフランシスコへの移送

12月3日(土)(東京~サンフランシスコ)

 昨日の裏千家本部からの要望にこたえるため、急遽サンフランシスコのデ・ヤング美術館へ立ち寄らねばならなくなった。土曜日なので責任者には会えないが、ともかく裏千家華道実演と池坊いけばな展示のための講堂ハーストコートなる場所を詳しく検分しておくことになった。

早速シカゴ直行のノースウエスト機をキャンセルして、夜八時三十分発のパンアメリカン航空846便、サンフランシスコ行きに切り替える。

安川氏(大和運輸美術梱包所長)が日中に掛取りに来る。協会は手許不如意。青柳氏(財務担当)は業者、役所、理事長に挟まれてまさに四面楚歌だ。午後二時に協会を出て一旦帰宅する。

すき焼きで夕食後、早めに出て羽田に向かう。モノレール浜松町駅で偶然に安川(大和運輸)さんと乗り合わせる。空港ラウンジにていろいろ話す。午後八時五十分羽田発。

ー 日付変更線通過 ー

あっという間に朝。ノンストップで、時差の関係で同じ日の午後一時頃にサンフランシスコに到着。ホテル・ベバリープラザに入ればすでに午後三時。大急ぎでひげを剃ってタクシーでデ・ヤング美術館へ駆けつける。美術館から平面図をもらって、講堂ハーストコートをできるだけ詳しくスケッチする。

ビクトリアホテルの「武士亭」(Bush Garden)で刺身定食。事務局へ報告をしたためる。シャワーを浴びる。その割に疲労感はない。雑誌でも読んで寝るとしようか。

12月4日(日) (サンフランシスコ~シカゴ)

 夜中一時半に目が覚めた。三時半再び目が覚める。やはり時差の所為か。仕方なく週刊誌や小説を読むがどうも気分がすっきりしない。空腹も伴う。午前七時半にシャワーを浴びて戸外に出る。階下の日本レストラン「みどり」も日曜日で休み。仕方なく街のカフェテリアで朝食。

ホテルに戻り、午前九時に当地裏千家代表の小原氏宅へ電話する。夫人に、ジャパン・アート・フェスティバルでの茶道のデモンストレーションについて概略を説明する。直ちに事務局へ速達便をしたためる。

ホテルをチェックアウトして、午前十一時にサンフランシスコ空港に着く。十二時二十分発、ユナイテッド航空128便にてシカゴに向かう。悪天候のせいか、予定より二時間半の延着だった。現地時間午後九時三十分に、予約済みのホテル、パーマハウス(現パーマーハウス・ヒルトン)に入る。歴史のある広壮なホテルだ。廊下がやけに広くて長い。

自室で缶詰を開けて食うが、やはりご飯が無くてはしょっぱ過ぎるのに閉口した。明日からは、シカゴ美術館撤去作業と展示作品のサンフランシスコへの移送だ。 

12月5日(月) やや暖かい

 この暖かさは珍しいとのこと。八時に起床。近所のレストランで朝食を済ませ、徒歩でシカゴ美術館へ行く。ミス・ジェントルズは休暇中。チーフ・キュレーターのスーェル氏は、道路のコンディションが悪いため週末旅行から未だ戻れないとのこと。もっぱら秘書のミス・グレイサーの世話になる。ミス・ジェントルズの伝言で彼女の綺麗なオフィスを使わせて貰えるのは感激だ。昼食にはホテルへ戻る。午後も仕事。

午後五時にホテルに戻り、ニューヨークのゴードン夫人に電話を入れる。いつもの張りのある懐かしい声だ。今週土曜日の午前中に会う約束をする。ユナイテッド航空事務所に立ち寄り、土曜日のニューヨークまでの日帰り往復を予約する。

午後六時に日本レストラン「みやこ」で総領事館の浜西氏に会う予定だったが、地下鉄を乗り間違えて、さんざんな目にあう。六時三十分辛うじて駆けつけ、一緒にすき焼きで夕食。食後オールド・タウンなる所を散策、案内をしてもらう。昔のシカゴの名残でなんとなく暗い雰囲気。バーに入ってビールを飲む。

午後九時過ぎにホテルに戻る。シャワーを浴びて、すでに申し込んである十一時に接続予定の東京事務局からの国際電話を待つ。予定通り十一時に電話が入る。サンフランシスコ(デ・ヤング美術館)のお花、お茶の会場がOKであることを伝える。

12月6日(火) 雨

 あまり熟睡できなかった。七時半起床。相変わらず灰色のシカゴである。小雨が降ったり止んだり。

・思い通りに進まない撤去作業

 ドラッグストアで朝食を済ませ、美術館へ行く。作品の再梱包作業は思わしく進んでいない。チーフ・キュレーターのスーェル氏に会う。ネプチューン社(トラック運送会社)から空き箱は届いたが雨に濡れていて早速の梱包は無理、との連絡が入る。誰の責任か? 常に問題が続出する。

暇をみて美術館内のコーヒーショップにて、午前中には東京事務局へ、午後に世津子、友人達に手紙を書く。

浜西氏に電話を入れ、午後六時にトウキョウ・ティーガーデン(Tokyo Tea Garden)での食事を約束する。美術館の仕事は捗らず業を煮やしてホテルに戻り小説を読む。疲労感もあってベッドでうたたねをする。午後五時半に目を覚まし慌ててTokyo Tea Gardenに駆けつける。今日はこちらが浜西氏に夕食をおごる。

午後七時半、ホテルに戻る。八時過ぎにピッツバーグのゼーン・クナウスへ電話する。いつもの元気な声、再会を約す。雑誌「週間現代」。小説「溺れ谷」(清張)を読み終える。十二時就寝。 

12月7日(水) 雨

 七時三十分起床。雨降りやまず。あまり寒くはない。ホテル内カフェ、Le Petite Cafeにて朝食。雨は激しくなるばかり。梱包、積載作業にはもっとも不都合な天候なり。

美術館へ行く。昨日から再梱包の仕事は全く進行していない! この状況では一体いつになったら日本へ帰れるのか判らない。切歯扼腕の思い。あまり食欲もないので、昼食はメロン一切れとコーク一杯(栄養価ゼロだ)。

梱包ケースの中のカートン(ダンボール箱)などを取り出して、積極的に乾燥につとめさせる。ネプチューン社へ電話をして保管・輸送管理の責任についての説明を求めるが秘書しか居らず埒が明かない。

美術館では土曜日も仕事をするというので、ゴードン夫人に電話をして、ニューヨークでの約束を日曜日にしてもらう。ついでに帰途に急遽ピッツバーグにも立ち寄ることにする。ユナイテッド航空、TWAを乗り継いでニューヨーク、ピッツバーグ、シカゴの順に飛行機を電話予約する。日曜日は猛烈に忙しい日帰り旅行になるだろう。

夜、地下鉄にてClark & Divisionへ。日本レストランですき焼きを食う。何となく哀愁漂う雰囲気。東京の事務局へ手紙を書く。ワイシャツ三枚を洗濯する。雑誌と小説を読みつくした今では、もう少し余分に書物をもって来なかった事が悔やまれる。

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