第二部 国際芸術見本市始末記・ヒューストン展(3)
10月29日(日)
地階の洗濯場で、このアパートに住むフィリス嬢と知り合う。彼女の部屋でコーヒーを御馳走になり暫く話す。部屋には文学書や美術関係の本が目立つ。証券会社に勤務しているとのこと。源氏物語や、俳優伊丹一三のことなどをよく知っていたので驚いた。車の運転ができないという米国では珍しいインテリ女性だ。
10月31日(火)
午後九時(日本時間正午)に事務局へ国際電話を入れる。現況報告。
11月5日(日)
三週間住んだ2016 Main Apt.からサヴォイ・フィールドホテル(Room1712)に移転する。部屋を引き払うに際しては年配の女性管理人が、じゅうたんの焼け焦げ、壁のしみなどを一つひとつ注意深くチェックしていたのには驚き、感心した。
・三十二歳の誕生日
11月10日(金)
三十二歳の誕生日だが一人きりの生活では何ということもない。
追記= 前年の誕生日には、ヒューストンからメキシコ・シティへ飛んでいた。
11月13日(月)
本日で第二回ジャパン・アート・フェスティバル、ヒューストン展の会期は終了した。あとは、会場撤去と作品の再梱包作業、時期開催地ニューオーリンズへの移送である。
11月18日(土)
D・クン氏と車でダラスまで飛ばす。日帰りの強行軍。次期展示会の開催場所を開拓することが目的。それにしてもフリーウエイで時速百マイルは飛ばしすぎだ。テキサスは広い。
サザーン・メソディスト大学(SMU)を訪問、同大ギャラリーでの展示会開催の可能性を打診する。大学側は関心を示している。高級百貨店ニーマン・マーカス本社を訪ねる。会長室で約一時間スタンリー・マーカス会長と面談する。共催に関心を示す。クン氏は会長をファーストネームで呼んでいる。時には知識豊かな学者となり、時には手だれの商人にもなる。
11月19日(日) (ヒューストン~ニューオーリンズ)
サヴォイフィールド・ホテルをチェックアウトする。D・クン氏とともにニューオーリンズへ飛ぶ。次期開催のメゾンブランシュ百貨店を訪問。
11月21日(火)(ニューオーリンズ~ダラス~サンフランシスコ)
クン氏と別れ、午前七時十分、単独でニューオーリンズを発ちダラスへ向う。
ダラスで短時間ではあるがゼーン・クナウスとの再会を果たす。昨年の十二月以来、約一年ぶりである。彼のアパートへ立ちよる。ピッツバーグからこちらへ転居していた。近々に心臓の精密検査を受けるとのこと。
ダラスを午後二時半に発ち、デルタ航空でサンフランシスコへ。べバリープラザホテルにチェックイン。
追記= 日記は此処で終わっている。手許の古いパスポートには、十一月二十四日の日本への入国を記録するスタンプが残されている。(第二部 第二回ジャパン・アート・フェスティバル=ヒューストン展おわり)
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