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2007/02/21

第二部 国際芸術見本市始末記・サンフランシスコ展(3)

・サンフランシスコ展撤去と日本への移送

2月15日(水) (羽田~サンフランシスコ)

追記= サンフランシスコ展終了後、約一年間の米国内巡回を終えた展示作品は、現地で販売されたものや海外在住作家に返還されるものを除いては、すべて日本へ移送されねばならない。今回の出張目的は、同展の撤去と日本への船積みまでを確認することにあった。

 事務局(青柳、相沢)、大和運輸安川所長、世津子、英明、かっちゃん(義妹)らに見送られて、午後八時三十分、パンナム夜行便にて羽田を発つ(PAA846便)。午前中のフライトと比較すると断然楽だ。八時間二十分の飛行にてサンフランシスコ空港に到着(現地は正午)。 空港ターミナルより電話をしてサターホテル(Sutter Hotel)を予約する。

2月16日(木) (サンフランシスコ)晴

 カリフォルニア銀行(Bank of California)に小切手口座(Checking Account)を開設する。

   追記= 現地での業務取引上の支払は、殆ど全ての場合に小切手を用い 

       た。米国に到着して直ちに銀行に小切手口座(チェッキ  ング・  

       アカウント)を開設すると、数日中に小切手帳が送られてくる。厳   

       しい資金繰りの中では、不渡りにならないように常に残高に気を配

       ることが習慣になってしまった。

朝一番にマットソンビルに三井OSKの杉本氏を訪ねる。日本への海上輸送の件を打ち合わせる。終日デ・ヤング美術館へ詰める。午前中はマグレガー、デユトロ、ロング、ケッシンジャー、キース、ビル・ボイドの諸氏に、それぞれ個別に会う。

会場で知り合ったヤーマコフ夫妻(サンフランシスコの画廊経営者)に招かれて彼の自宅へ夕食に行く。サンフランシスコ湾を見下ろす高台にある瀟洒な住宅だ。ヤーマコフ氏の車に送られて十一時過ぎにホテルに帰着。

世津子へ手紙を書く。時差のせいか、あまり熟睡できない。

2月17日(金) 晴、温暖

 美術館へ行き、午前中はアジアティック・フォーワーダーズ社の中道氏、ウー氏との三人で会場撤去、梱包の打ち合わせ。昼食時には、今流行のトップレス・ランチョンに行く。店内はビジネスマンで満員盛況だ。

カリフォルニア銀行よりキャッシャーズ・チェック六、〇〇〇ドル分が届く。三、〇〇〇ドルをアジアティック社への支払の一部に充てる。 

東京へ国際電話を試みるが、段取りがうまくいかず断念する。サンフランシスコでは、今桜が満開だ。

2月18日(土) 快晴

 一ヶ月以上も続いたサンフランシスコ展も、ついに今日で終了する。あとは撤去、日本への輸送があるのみだ。

 午前中は床に入ったまま。午後「みどり」で食事。突然の思い付きで、ヒルトンホテルからグレイライン観光バスで森林公園、Muir Woodsへ行くことにした。金門橋 ~森林~ サウサリート。帰途、サウサリートで暫時休息、お茶を飲んだり、みやげ物を物色したり。午後五時にサンフランシスコに戻る。

2月19日(日) 快晴

 日曜日とてただ待機あるのみ。明け方近くまで一晩中ベッドで小説を読んで過してしまった。朝、六時頃から昼過ぎまでウトウトするのみ。ケーブルカーでフィシャーマンズ・ワーフ(漁夫の波止場)へ行く。埠頭周辺を散歩する。海鮮料理の匂いが充満。シュリンプカクテルを注文、ベンチで食べる。帰途もケーブルカーを利用して午後三時にホテル自室に戻る。

午後六時の国際電話を申し込む。シカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)へインボイス(請求書)内訳の説明を求めて手紙を書く。ピッツバーグのゼーン・クナウスへ電話する。ヘレンが出て、不在とのこと。しばらく彼女と話す。

松屋で夕食(寿司)。予定通り(日本の午前十一時)に東京に電話がつながる。青柳、風間氏へ状況報告。風呂に入ってからベッドでまた読書。

2月20(月) 晴

 七時三十分起床。ウー氏の車が迎えに来て中道さんと三人で美術館へ行く。今日から作品取り外しと会場撤去の仕事が始まった。夕刻、ウー氏の家に招かれて夕食をご馳走になる。奥さんも子供達もにぎやか。十時半帰着。風呂。

・なかなか進まない跡始末

2月21日(火) 快晴

 六時四十五分起床。階下のフォスターで朝食後にタクシーで美術館へ向う。

梱包作業を開始するが遅々として進まない。いずれの展示会においても事後処理は緩慢だ。当事者は過ぎ去ったイベントには余り関心を示さない。終了した途端に心はもうここにはない。次の、それも直近の催しにのみ熱意を示すものらしい。理解はできるのだが・・・

   追記= 美術館であれ百貨店であれ、現地協力機関の担当者の事業に対する関心と熱意には、展示会開催前と終了後に大きな落差がある。相手側の念頭にはいつも次のプロジェクトしかない。さらに悪いことには、われわれのプロジェクトはこの段階では学芸員や、展示責任者の手を離れて、会場整備担当の現業部門に移行しているのである。当然と言ってしまえばそれまでだが、当方としては、一日も早い事後処理を願うのみだ。

      

 デ・ヤングアートショップのデユトロ氏から作品売上代金の支払いを受ける。「松屋」で夕食。

2月22日(水) 快晴、

 今日はワシントン誕生日で休日なり。休日は当方にとってはあまり有難くない。停滞あるのみだから。

 十時起床。「みどり」で朝食後、思い立ってフライシュハッカー動物園へ(マーケット・ストリートから市電Lに乗って約三十分)。子供づれの家族が多い。どこの国へ行ってもこれは同じだろう。三時頃ダウンタウンに戻り、マーケット・ストリート界隈を散歩する。あまり良い環境ではなさそうだ。夕食はチャイナタウンで済ませ、そのあとブロードウェーあたりを散歩。オレンジを買って帰り部屋で食べる。

2月23日(木) 晴

 六時五十分起床。朝食後美術館へ行く。ウー氏、ジョージ中道氏も来る。会場撤去作業の検分。在住作家宛の作品返還案内状が準備できた。発送準備をする。フランス、イタリア、米国内など。夕食は「みどり」へ。鯛の塩焼きを食う。

2月24日(金)めずらしく雨

 終日美術館に詰める。梱包作業はかなり捗ってきた。

午後五時ミセス・ヤマサキの車が迎えに来る。展示会場で知り合った日系アメリカ人だ。途中、夫のヤマサキ氏を彼のオフィスでピックアップして対岸のサウサリートへ行く。ゴールデンゲート・ブリッジは雨に煙っていた。瀟洒なレストラン「ディオンヌ」で夕食を御馳走になる(フランス料理のフルコース)。シェリー酒から始まって、ワイン、ブランデーまで。飲まない当方は殆どパスする。ヤマサキ氏は貿易事業を営むとか。話は仕事や趣味のことなど次から次へと尽きない。日本へは仕事でよく出かけるとのこと。

帰途も夫人の運転。外は土砂降りになってきた。午後九時ホテルに戻る。 

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