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2007/02/02

第二部 国際芸術見本市始末記・ピッツバーグ展(1)

二、第一回ジャパン・アート・フェスティバル=ピッツバーグ展

 

7月27日(水)(東京~シカゴ)

 

 五時三十分起床。東京は快晴。世津子と英明とともに羽田に向かう。途中、浜松町モノレール乗り場でかっちゃん(義妹)と待ち合わせる。青柳、風間、安藤、大和運輸安川の諸氏に見送られる。日本航空002便、午前十時羽田発。

 

 

先ほどホノルル空港に到着。現在日本時間午後五時五十分=現地時間二十六日午後十時五十分、すでに日はとっぷり暮れて久しい(ここまで空港で記す)。

ホノルル発十一時五十分、サンフランシスコ着午前七時四十五分、同発九時三十分、アメリカン航空でシカゴへ向う。シカゴ着午後三時五分。空港ターミナルビルからコンラッド・ヒルトンホテル(Conrad Hilton)に電話を入れて予約する。タクシーにてダウンタウンまで。ホテル自室からシカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)に電話をするが、すでに五時五分過ぎにて応答がない。

 

 

予想外に疲れて食欲もあまりない。就寝前に、明日の朝食のルームサービスを頼んでおく。とにかく大至急寝不足と体力を回復することである。 

 

・風格あるシカゴ美術館

 

7月28日(木)(シカゴ~ニューヨーク)

 

 午前七時丁度、ルームサービスに起こされる。グレープフルーツ、ワッフル、目玉焼きとベーコンなど。朝食を済ませて早朝のミシガンアヴェニューを、写真を撮りながら散歩する。とりあえずシカゴ美術館の場所を確認して置く。遠目にも風格のある美術館だ。一旦ホテルへ戻り美術館へ電話を入れメッセージを残すが、折り返し学芸員のミス・ジェントルズ(Miss Gentles)から電話が入る。十時三十分に会うことにする。

 

 

 

シカゴ総領事館の菊地領事に電話をして会いに行く。アート・フェスティバルの会報、カタログ等を渡す。

 

 

帰途、美術館に立ち寄る。美術館側では未だ計画はあまり具体化していない様子。ついでに館内を自由に見せてもらう。さすがに東洋美術ギャラリーも素晴らしい。すべてが重厚。ホテルに戻りチェックアウトする。 

 

リムジンバスで空港へ向かう。空港でスナック。二時発のアメリカン航空(707便)で一時間四十分の飛行、ニューヨークJ・Fケネディ空港に着く。リムジンバス、タクシーを乗り継いでベルモント・プラザホテル(Belmont Plaza)に入る。ジェトロ・トレードセンターの織田次長、ゴードン夫人宅に電話を入れて挨拶する。明朝九時三十分ゴードン夫人宅訪問の予定。十二時半就寝。世津子へ手紙。

 

7月29日(金)(ニューヨーク)晴

 

 七時過ぎに起床。朝食はルームサービスを頼む。食後、ホテル前でタクシーを拾い、まず九時三十分にリバーサイドのゴードン夫人を訪問する。約三ヶ月ぶりの再会。十一時辞す。ゴードンさんより六〇〇ドルの小切手を受け取り、三番街のファースト・ナショナルシティ銀行(First National City Bank)へ行き現金化する。 

 

 

昼食後、ユニオン・カーバイドのマーゼック部長を訪ね、盗難作品(黒田辰秋)の補償について約三十分話す。結局、当方からの損保請求しか途は無さそう。

 

 

JETROトレードセンターで丸尾所長、織田次長の両氏に挨拶、その足でニューヨーク総領事館を訪問。東郷総領事、島之内領事、大井領事の各氏に挨拶、NY展への協力に対する謝意を表す。次のギンベルズ展開催についても非常に好意的、協力的であるので安心する。

午後五時ホテルに戻る。明日は、ゆっくり休もう。結局、五時過ぎにベッドにバッタリひっくり返って、気がついてみたらすでに午後十時近かった。パジャマに着替えてうつらうつら、朝まで食事もしないで寝てしまった。

7月30日(土)

 

 朝起きてみると身体がふらつくような感じ。またルームサービスを頼む。昨晩、食事を抜いたせいかいささか力が抜けた感じ。涼しい。あてもなく散歩に出てみる。ラジオシティ辺りからどのように歩いたのか思い出せない。途中、カフェテリアで野菜とピーチの缶詰だけの昼食。五番街のバスに乗ってワシントン広場まで。二時間ばかり群集に交じってベンチに座る。

 

 

再び、かなり歩いた後に、「亀八」(五番街四十六丁目)へ。鮭茶、カッパ巻きを食べてやっと一息つく。オレンジを買ってホテルに戻る。やっと体力が戻ってきたような感じ。あとは、このコンディションを持続することが大切。明日のアメリカン航空、予約を電話で再確認する。OK。夕食に出掛けるのが面倒で、そのまま寝入ってしまう。気がついたときにはすでに零時すぎ。こんなことではいけない。

・はじめての地、ピッツバーグへ

 

7月31日(日)晴(ニューヨーク~ピッツバーグ)

 

 昨日食べ過ぎたせいか、胃腸の具合があまりよくない。ルームサービスを頼み自室でゆっくり朝食。電話で、ピッツバーグの宿泊所としてピック・ルーズベルトホテル(Pick Roosevelt)を予約する。

 

 

十時にチェックアウトして、タクシーでラ・グァーディア空港へ。空港で二時間ばかり新聞などを読んで時間を過ごす。ベトナム戦、いよいよ北への侵攻と北爆強化か。空港ロビーには兵士の姿が目に付く。

 

 

各社の飛行機が轟音とともに、彩りも鮮やかに間断なくそれぞれの目的地へ飛び立っていく。着陸機も絶え間ない。構内アナウンスが出発便、到着便のアナウンスを伝える。全米に散在する聞きなれた都市名が懐かしく感じられる。こんな時間帯は本当に気分が安らぐものだ。一時二十五分ラ・グァーディア発、ピッツバーグ着二時二十九分。

ホテル到着後、少々散歩するが途端に道に迷ってしまった。ホテルへの帰り道も判らなくなってしまう。ここ、ピッツバーグの中心街は極めて複雑な地形だ。たしかUSスチールの本社ビル前を通り過ぎたのが記憶にある。ここは鉄鋼の町だ。例によって、夕方六時頃からうとうと、食事もしないで朝まで寝込んでしまった。

 

・ギンベル百貨店の人々

 

8月1日(月)(ピッツバーグ)晴

 

 七時起床。コーヒーショップで朝食。ホテル自室からギンベルズの広報部長ウォルドマン氏(Mr. Waldman)に電話を入れる。十時に彼のオフィスに行く。百貨店はダウンタウンのほぼ中心部にある。間もなく会議室で円卓会議。

ウォルドマン氏が会議の議長役を務めながら、スナイダー(Snider)展示部長、ゼーン・クナウス(Zane Knauss)広報担当エージェント、ゴールドスミス展示部次長、その女性部下マーシャの諸氏を紹介してくれる。誰も名刺をくれないので、その都度手帳に名前を控えるのがひと苦労だ。お洒落抜群のゴールドスミス氏に案内されて、七、八階の展示予定会場を見る。午後一時、マーシャ、ゴールドスミス、クナウスの三人と一緒に近所のレストランへ昼食に。

午後クナウス氏のオフィスで電話を借りて各関係者(殆どNY)に電話をかける。その後ゲートウェイ・タワーズ(Gateway Towers)二十階の彼のアパートメントに行き奥さんのヘレンに紹介される。二時間ばかり話す。仲のいい夫婦だ。ゼーン・クナウスはフリーランスのPRマン。今回のプロジェクトのためにギンベルズと特別契約を結んでいるとか。

 

追記= ゲートウェイ・タワーズは、当時新しく開発されたばかりのピッツバーグのビジネスセンター。高級ホテル、オフィスビル、レストラン、高級アパートメントなどが集中していた。いわばピッツバーグの六本木ヒルズというところだ。

 ニューヨーク総領事館の大井領事と電話で話す(東郷総領事のピッツバーグ来訪スケジュールについて)。ゴードン夫人へも電話。日本時間の午前十一時に東京へ国際電話を申し込む。午後十時(東京二日、午前十一時)に電話がつながる。風間、青柳両君と話す。麻生理事長到着は十七日とのこと。但し十九日には、ピッツバーグを発ちたいとのこと。我家へも宜しくと伝言を頼む。 

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