第二部 国際芸術見本市始末記・ピッツバーグ展(3)
8月8日(月)晴
かなり暑かった。寝る前に飲んだコーヒーのせいか、昨夜は寝付かれなくて参った。やっとウトウトしたのは午前三時頃か。時間のセットを間違えて四時半に目覚し時計が鳴る。五時半に起床して六時四十五分、KDD放送のあるGateway No. 1へ行く。ゼーンが来て一緒にスタジオに入る。一時間余の番組をリハーサルなしの即興でやるのには感心した。
昨日インタビューした新聞の特集は、Japan Art Festivalとして地元新聞(ポストガゼット )に大きく写真入で掲載された。自分が外国の新聞に出ようとは考えもしなかった。
一旦ホテルに戻り、十一時にウォルドマン広報部長をギンベルに訪ねる。作品破損についてのネプチューン社(運送会社)の回答はギンベル側から取り付けてもらうことにする。ゼーンと一緒にYMCAで食事。まだ一度も金を払わせてくれない。
郵便局に行き東京事務局へギンベル関係の印刷物を送る。トプリス・ハーディング社(損害査定会社)宛の手紙コピー三通も同封する。何となく寝床に入り、午後九時に起きて夕食に外出する。久しぶりに美味しく食べ、落ち着いた気分で部屋に戻る。世津子へポストガゼットの記事掲載紙を送る。午後十一時四十五分に東京事務局より国際電話が入る。麻生理事長の予定について風間さんと打合せ。
8月9日(火)晴
九時四十分起床。ホテルのレストラン、シルヴァンルームで朝食。
ニューヨーク総領事館の大井領事より電話が入る。東郷総領事夫妻は十八日、午後四時四十分アレゲニー航空で到着とのこと。大井さんは十七日車で来るのでモーテルを予約して欲しいとのこと(十七日、十八日の二泊)。
午前中にギンベル七階会場へ行く。展示予定フロアースペースではショーケースを撤去中、明日よりディスプレー作業が開始できそうだ。十二時一旦ホテルに戻る。間隙を縫ってホテルで洗濯。
ウォルドマン部長気付にて東京事務局(風間君)から第二便が届く(依頼しておいた堂本、猪熊、富岡の写真同封あり、PR用なり)。ホテル・フロントに世津子よりの第一便が届く。みんな元気との事で一安心。世津子へ返事。東京事務局へも手紙(東郷、大井出席の件、写真受け取った旨知らせる)。
ゼーンより電話あり、明日の朝食を共にする約束。十一日、午後二時にラジオインタビューをやるとのこと。
かなり暑い一日だった。夕方、一雨来る。新聞、雑誌プレイボーイなど読む。午後九時、夕食のために外出する。
8月10日(水)晴
午前八時、ヒルトンホテルのレストランでゼーンと一緒に朝食。一旦ホテルに戻り十時半にまたギンベル百貨店で会う約束。十時半ギンベルへ。いよいよ展示作業開始。展示用の裏パネルを外して空間に吊るすのはよいが、スペースがつまり過ぎてどうも感心しない。ここでは丹下設計がかえって邪魔になる。
夕刻、胃の調子悪く何となくホテル自室でしばらく横になる。夜、ニュー・チャイナイン(New China Inn)という中国料理店に行き、スープ、焼きそばを取る。スープ(マッシュルーム)はいけるが、そばはパッとしない。これから風呂にでも入るか(午後十時三十五分)。
8月11日(木)にわか雨
九時起床。コーヒーショップで朝食。後、ゲートウェイ・センターへ行きゼーン・クナウスを訪ねる。今後のPR活動について打合せる。いつも自信に満ちて物事に動じない男、頼り甲斐がある。
十一時、ギンベル百貨店へ。現場立会い。職人達(基本的には常時七名)は真面目に働いてくれている様子だ。事務局へ電報を打つ(十二時三十分)。ノースウエスト航空のストライキの可能性について知らせるとともに麻生理事長の具体的なスケジュールを問い合わせる。
午後二時、激しい雨の中を再びゼーンのオフィスへ行き十五分間の放送インタビューを録音する。タクシーで雨の中をギンベルに戻る。再度現場立会い。午後五時半に一旦ホテルに戻る。
午後七時半、再びギンベル会場へ行き、九時半まで現場に立会う。職人達は相変わらずジョークの連発。
世津子より手紙、英明の写真同封あり(返事)夜、靴下など洗濯。
8月12日(金)晴
九時起床。コーヒーショップで朝食。ギンベル会場へ。昼休みにゲートウェイ・センターへ行き、ヒルトンホテル内のユナイテッド航空事務所へ。麻生理事長に同行するためのニューオーリンズまでの座席(二十日午前九時)を予約する。もっとも、ストが解決しなければどうにもならないのだが。
午後再びギンベル百貨店へ。現場で工芸品の開梱に立ち会う。漆器や織物の取扱いについて大工や職人達に説明、細心の注意を促す。みんな真摯に耳を貸してくれる。
仕事場から事務局へ手紙(速達)を出す。ノースウエスト航空がストライキの場合、理事長の予定は如何するか?
夜、ふたたび例のチャイニーズレストラン、ニュー・チャイナインへ行く。ヤッカメン(Yatcamen)というのを注文してみたら、日本のソーメンが出て来たのには驚いた。八百屋に立ち寄ってグレープフルーツ、オレンジなどを買って帰る。寝床にてライフを読む。
8月13日(土)晴
九時半起床。朝食後ギンベル百貨店へ。正午に一旦ホテルに戻る。フロントにてホテル代一週間分を支払う。世津子より手紙(八月八日付)受け取る。早速返事(投函午後一時三十分)。午後二時再びギンベル展示会場へ(午後五時まで開梱・展示作業に立会う)。
隣のレストラン、メイフラワーで夕食。夜はテレビをみる。ゼーンに電話をしてみるが風邪を引いてlousyとのこと。
8月14日(日)曇り、時々雨
十二時前にやっと起床。ホテルの食堂で朝食。ロビーで、ウエスティングハウのセールスマンで南米からの旅行者という青年と二時間ほど話し込む。日本については興味があるらしく、いろいろ質問はあるものの知識は皆無に近いらしい。暇にまかせて話し相手になる。食事に出かける以外には何もない一日だった。
夕食は、またニュー・チャイナインへ。ビーンケーキ・スープ(Bean Cake Soup)というのを取ってみたら、予想通りに豆腐汁が出てきたのは嬉しかった。オレンジ五個(五十九セント)を買って帰る。夜、新聞、雑誌Lookなどを読む。
追記= この頃にはどういうわけか食事に対するこだわりがますます強くなり、特に夕食には和食を求める傾向が強くなっていた。ニューヨークとは異なり日本食レストランが殆ど無かった当地では、中華料理で間に合わせることが多かった。
深夜十二時過ぎに東京事務局より国際電話が入る。麻生理事長のピッツバーグ到着は十八日、午後二時八分アレゲニー航空(AL303)に決定したとのこと。
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