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2007/02/26

第二部 国際芸術見本市始末記・ヒューストン展(1)

第二回ジャパン・アート・フェスティバル=ヒューストン展

 

 追記= 昭和四十二年九月には二男が誕生していた。この時期、幸いにも八月のホノルル展は終了して、帰国中であった。世津子は出産のために一週間ほど入院していた近くの東武病院を退院して、親しい知人の手伝いを得ながらも、やっと普段の生活に戻ったばかりであった。

 

 義母は五月に亡くなり、義妹も役所勤めがあって、当面家事の手伝いを頼める人は身近にはいなかった。四歳の通園児と生まれたばかりの乳幼児を抱え、体調かならずしも万全ならず、とりあえず家事全般は派遣のお手伝いさんに依存せざるを得ない状態であった。

 

 八月二十七日に終了したアート・フェスティバル=ホノルル展は、その後米本土へ海上輸送されて、十月初頭にはテキサス州ヒューストンへ巡回していた。

 

 

 

 

この間東京の事務局では九月に国際業務担当者(男性)一名が新たに採用されており、即戦力としてヒューストンへ派遣されていた。このような状況のなかで、ヒューストン展現地事務局員の交代・引継ぎと、終了後の展示会場撤去のための出張がやってきたのだった。

 

・稀有な体験・無賃飛行

10月14日(土) 雨 (東京~サンフランシスコ)

 現在、日本時間午後十時過ぎ、飛行機は北海道東方を通過して千島列島沿いにひたすら北上している模様。コックピットのすぐ後ろのベッドに腹ばいになってこれを記している。腹に響くような大型機のプロペラエンジンの音が間断なく続いている。今日は午後四時に羽田空港に到着。午後八時過ぎ羽田を発った。 

今回はフライイング・タイガー(Flying Tiger)の四発大型貨物輸送機に無銭便乗することになった。通関、出国手続きは、どういうわけか羽田のノースウエスト航空の職員に案内されて、空港にある同社のオフィスを経由した。当機は米軍用機でベトナムから飛来したチャーター機。荷主は軍から委託を受けたアジアティック・フォーワーダーズ社(大和運輸の米国における関連会社)で、将兵とその家族及び家具の輸送を終えて米本土に帰るところだそうだ。どうせ帰りは空っぽで飛ぶのだから、よければどうぞ便乗を、との申し出だ。もちろん運賃はタダ。

なにしろ飛行機が軍用だから、ダナン(ベトナム戦当時の米空軍基地)だか、ソウルだか知らないが何時どこから飛来して、日本の発着が何時、何処になるのかは直前まで判らない。ジョンソン(入間)、横田、立川の基地、あるいは羽田空港のいずれかということであったが、結局、羽田に決ったとアジアティック社の横浜事務所から連絡があったのは今朝になってからだった。いつでも飛び出せるように、昨日から自宅で待機していたところだ。

空港ターミナルから、自分のスーツケースとともに指示されたバスにたった一人で乗せられ、かなり長時間暗闇の中を走り続けた様な気がした。空港の最も端に駐機していたと思われる大型貨物機にたどり着くまでは多少の緊張感があったが、無賃飛行なのでこれくらいの不便さはいたし方がないだろうと考えた。 

 

革ジャンパー、私服のクルー四名(男性)のほかは、ベトナムから帰るフライイング・タイガーの素人スチュワーデス五名(臨時雇い)のみで他には乗客はいない。コックピットの後ろにしつらえられたベッドに寝転がる。スチュワーデス達も同じスペースでごろ寝。後方の広大なキャビンは貨物も無く空っぽである。(ここまで機内で記す。) 

 

飛行機は羽田を飛び立つと北へ向かい、やがてアリューシャン列島東部に位置するコールド・ベイ空港でクルーが交代した。いったん飛行機から降りるようにと言われて素人スチュワーデス達と一緒にタラップを降りる。

あたりは寒々として殺風景そのもの。荒涼とした米軍用地の一角に建つ小さなバラックに入る。ひっそりとした狭いバラックの中に女性兵士がたった一人。ほかに人の気配は感じられない。入国手続きのスタンプを押してもらう。

 

機内での食事には、交代したクルーが軍用のレーション・パックを投げてくれる。パン、ハム、チーズのほかにりんごやチョコレート、チューインガムまでがセットになっている。飲み物は全てセルフサービス。コックピットの後ろにコービー沸かし器が備わっている。

 

飛行中、クルーや素人スチュワーデス達と雑談、時には床に車座になってトランプに興じる。機はもっぱら自動操縦。着陸が近付くとクルーはそれぞれ真剣に忙しく立ち働く。稀有な体験だった。

 

計十四時間の飛行でサンフランシスコに到着。無料飛行はここまで。宮本氏と彼の愛車マスタングのお出迎え、もはや入国手続きや通関もなく空港の裏門から出て行く。ホテル・べバリープラザに泊まる。(米国時間十月十四日、午後十一時記す。)

 

 

 

 追記= この無賃旅行は、「宜しければ又いつでもどうぞ」との申し出が運送会社からあったが、日本からの出発地や日時が直前まで確定しにくいことから、以後は利用することもなかった。 

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