第二部 国際芸術見本市始末記・ピッツバーグ展(2)
8月2日(火)雨
朝から雨。風邪気味。問題は次から次へと起こってくる。全くひどい一日だった。
まず、九時にゲートウェイ・タワーズにゼーン・クナウスを訪ねて今後の広報の段取りにつき打合せる。朝食後、猪熊弦一郎、堂本尚郎、富岡惣一郎の在米作家諸氏にオープニングへの招待の件で電話する。
午後六時、ネプチューン社のトラック第一便が到着する。夕食を食べるチャンスを逸して、十二時過ぎまで積荷卸しに立会う。作品の損傷などもあって実に気が重い。
午前零時半にホテルに戻りルームサービスに辛うじて間に合う。サンドイッチとスープにありつく。その間、東京へ国際電話を申し込む。回線が混んでいて午前二時頃になるとのこと。二時過ぎに電話が東京へ通じる。風間君、理事長と話す(作品損傷の件、理事長来訪スケジュールなど)。やれやれ!
気が付いてみると、ピッツバーグに来て未だ一度も風呂に入らず、アメリカに来てまだ一度も洗濯をする暇もなかった。
8月3日(水)晴
九時半起床。軽い頭痛。シュウインドマン氏(ギンベル業務マネジャー)に損害保険手続きの件を相談しに行く。
・巨大作品に手を焼く
広報部長ウォルドマン氏より、菅井汲(在パリ)の作品ケース(外装木箱=クレイト)が大きすぎて移送できないとの話。頭痛のタネばかり。昼過ぎホテルに戻り、東京事務局へ報告書を書く。昼食後ベッドに転がってうとうとして気がついてみるとすでに午後四時半に。
午後五時過ぎにギンベルのドックへ行ってみる。すでに大型トラックが到着していた。結局、今日はこれに続いてもう一台到着。合計二台のトラックから梱包ケースを下ろし終わったのが午後十一時三十分。これでケース No.47(菅井汲、猪熊玄一郎)の作品を除いては全て到着した。
久しぶりに風呂に入れば、就寝は午前二時過ぎだった。
8月4日(木)晴
十時起床。近所のコーヒーショップで朝食、その後一旦ホテルに戻る。東京事務局へ手紙を投函。ギンベル百貨店七階へ行ってみたが、今日は開梱しないとのこと。そのような情報はどこからも入って来てはいなかった。しかたなくホテルの自室で待機する。
大工の一人から電話が入る。東京から手紙が来ているとのことで、再びギンベルへ行く。広報部長ウォルドマン氏と、ケースNo.47運送の方策を練る。作品をケース(木箱)から取り出して裸で運ぶのは、たとえ近距離であっても非常に危険だ。万一の時雨を懸念する。大和運輸美術梱包の安川氏の意見を求めるために東京事務局へ手紙。
・広報担当エージェント・ゼーン・クナウス
三日ぶりにゼーン・クナウスを訪ねる。彼の豪華アパートメントで夕食を御馳走になる。多弁、雄弁。豪放磊落の性格、しかし底抜けに親切だ。広報マンだけあって音楽、演劇、スポーツと話題に事欠かない。ゴルフをやらないことは意外だが、近日中にジャック・ニクラウスに紹介してやるとも言う。終戦の年に海兵隊員として沖縄に上陸したとのこと。現在は、ピッツバーグ交響楽団の専属広報担当者でもある。一見自信過剰とも見えるが、開けっぴろげの人柄か、気にならない。
ゼーンから風邪薬(コンタック)をもらう。一日、一錠でよいという。共に散歩しながら郵便局まで同行する。今夜は久しぶりに洗濯でもしよう。
8月5日(金)
晴十時前に起床。近所のコーヒーショップで朝食。ホテルに戻ってベッドに転がりうとうとと午後二時過ぎまで。シュウインドマン氏(ギンベル百貨店業務マネジャー)に電話をするが、今日は開梱作業の予定がないとのこと。当方にとっては、こういう時間が最も苦痛だ。ただ待つのみ、忍耐あるのみだ。
昼食後ホテルに戻って、今後の旅程の検討をする。滞在費の計算及び整理などをして時間を有効活用する。夕刻、少々散歩。ホテルのレストラン、シルヴァンルーム(Sylvan Room)で三ドル六十五セントの夕食をとるがたいして旨くもない。十一時半床に入る。
8月6日(土)晴
十時起床。フロントにてホテル代一週間分支払う。無料朝食券を利用してホテルの食堂で食事。ウォルドマン氏に電話をしてみるが出勤していない。百貨店といえども土曜日には偉い連中はみんな出てこないらしい。ホテル自室で事務局へ長文の報告を書く。
ゼーン・クナウスより電話が来る。三時半頃にゲートウェイ・タワーズの彼の事務所に来ないか、とのこと。二時前後まで金澤(朗)氏、友人達、京都(実家)へそれぞれ便りを書き投函する。
コーヒーショップで軽く食事をして、ゼーンのオフィスへ行く。広報用資料としてNY総領事館でもらったポスターを取りに、彼と一緒にギンベル百貨店の十一階まで行く。帰途、ヒルトンホテルのレストランで一服し一時間ばかり話す。いよいよ月曜日のテレビ出演は逃げられないらしい。ゼーンのオフィスに戻り展示作品の写真などを見せる。
ホテルに戻り夕食後風呂に入る。十一時床に入る。日本はすでに日曜日だろう。
8月7日(日)曇りのち雨
午前中むし暑い。ホテルのダイニングルームで朝食。なんとなく朝から気分が落ちつかない。ロビーで新聞を読んだりして、無為に時間を過ごす。
午後二時、ゼーンより電話が入る。新聞社でインタビューを受け、その後ドライブに行かないかとの誘い。
彼のアパートメントまで行き、そこから地元紙ピッツバーグ・ポストガゼット社へ。会議室で記者のインタビューを受ける。カメラマンが来て顔写真を撮る。新聞社のスタッフ、ミセス・マーグレットを家まで送り届けて、そのまま二時間のドライブへ。チャタムカレッジ~フットボールスタジアム(Forbes Field)~ピッツバーグ大学~カーネギーテック(工科大学)のキャンパス等を回り、Mt. Washington~South Park~その付近の高級住宅地を回って午後六時三十分に彼のアパートメントに戻る。緑の芝が広がる住宅地のたたずまいにアメリカの豊かさを実感する。
今日は食事の誘いを断って午後七時三十分頃ホテルに戻る。事務局へ手紙(八日朝投函)。
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