第二部 国際芸術見本市始末記・ニューヨーク展(6)
3月31日(木) 快晴
いよいよ春の陽気だ。午前十時ユニオン・カーバイドビルへ行く。ヒューズ社ノールズ社長の事務所にネプチューンのバトーリ副社長を呼び、両社へそれぞれの支払いを済ませる(約四万ドル)。
サンカルロスホテルの電話料金を支払う。国際電話料金、よく使ったものだ!
・難しい会場管理
一般オフィスビル内での展示会場の管理はなかなか容易ではないことを実感する。一、二階ロビーを担当する五人のセキュリティ・ガードの主たる役割はあくまでもビルの警備であり、かならずしも展示会場の監視ではない。超高層ビルに毎日通勤する数千人の従業員、無料かつ出入り自由の展示会場への入場者や、不特定多数の訪問者などが行き交うオープンスペースに展開する会場の管理は予想外の困難な問題をもたらす。
追記= 事務局女性スタッフ三人は、広い会場の片側中央に設けられたカウンターで来客の応対やカタログ販売に従事。一階、二階に広がる会場には常時五人の制服ガードマンが配置されていたが、彼らの本来の任務はビルに出入りする不特定多数の訪問者の応対と警備にあった。後日、ボランティアの女性数人を配置したものの、今考えてみれば、このような不特定多数の人間が自由に出入りできる空間での展示会には、管理上いろいろな問題があることを痛感した。
昼食時はホテルに戻り、事務局長の部屋でビーフステーキを焼いてもらって食事。午後三時半、十四階の自室に戻る。六時頃まで久しぶりの靴磨き、洗濯などをして、しばらく仮眠。六時過ぎ再び事務局長の部屋に行き夕食。その後、女性達の部屋で、会計の明確化を期すべく共同精算作業。十二時、風呂に入り午前一時に就寝。
4月1日(金) 曇り
午前十一時まで自室に。十一時半に事務局長、夫人の三人で外出する。展示会場をのぞいた後、五番街に出てベスト&カンパニー(子供服店)、ボンウィット・テラー(百貨店)、ティファニー(宝石・装飾品店)などへ立ち寄る。ホテルに戻り遅い昼食。午後六時頃自室に戻る。世津子へ手紙。
女性達は総領事館の大崎氏に誘われて夜のドライブへ出かけたらしい。夜、再び三人で外出する。タクシーで二番街八十六丁目のドイツ街へ。ドイツスタイルの大ビヤホール、「ブラウハウス」(Brauhaus)で十時まで。ジョッキビールやウエイター達による大合唱など・・・まさにここはドイツそのもの。午前零時、寝る前にシャワー。
4月2日(土) 曇り
十時頃までベッドの中でごろごろ。事務局長の部屋(五階)に降りて、パンと牛乳で簡単な朝食。
ユニオン・カーバイドビルに行ってみる。展示会場では、本日から教会よりのボランティアとして女性四名が会場係りとして手伝ってくれる。
・入場者の関心
陶磁器、漆器、木竹工、織物などの伝統工芸品は文句なしにアメリカ人の関心をそそるらしい。他方、絵画では日本画に対しても関心が高い。オップ・アートやポップアートなどの現代美術に関心を示すのはどちらかといえば画家、美術専攻の学生、若者など。入場が無料だけに訪問者は玉石混淆、その意識レベルもまちまちだ。プロもあれば気まぐれに立ち寄るだけの者もいる。一冊一ドルのカタログは決して安い買物ではないらしい。
クリスチャンの局長夫人は聖パトリック教会へ。再び局長の部屋に戻り昼食。自室に帰り洗濯。しばし昼寝、どうも寝苦しくてやりきれない。運動不足のせいだろう。頭痛も少々。
夜、レストラン「日本」(52nd St. between Lexington and the 3rd)へ行くが注文取りが遅いので業を煮やして出てしまう。途中、スーパーマーケットに立ち寄り買い物。ハニーデューメロンなど。ホテルに戻り事務局長の部屋で夕食。十時四十分頃に自室に戻る。
4月3日(日) 風やや強い
十時三十分起床。十一時、階下の事務局長の部屋に行き、パンとミルクの味気ない食事をする。
夫人との三人で暫時会場に立ち寄り、そのあと五番街まで散歩に出る。聖パトリック教会に立ち寄る。日曜日で礼拝中。ラジオシティ・ミュージックホールのあたりまで歩く。ブロンクスの動物園に行くつもりが、タクシーの運転手に全て断られて諦める。結局、ホテルに戻って事務局長の部屋で昼食。テレビ(アストロボーイ)(日本アニメ・鉄腕アトム)をみてから自室に戻り昼寝。暗くなってからスーパーマーケットへ買い物に行き、かに缶、鮭缶などで夕食。また、しばらくテレビを見てから自室に戻る。女性達はアスターホテルでおこなわれる心臓病学会の表彰ディナーパーティーへ出かけたようだ。
4月4日(月) 午前中小雨
午前中は寒いが、午後は晴れたり曇ったりで暖かい。
昨夜は寝付きが悪く、眠りについたのは今朝三時頃か。七時半起床。芦田さんを伴ってウエスト・ブロードウェーの移民局事務所へ行き、観光ビザで入国していた彼女の滞在延長許可を取る。ユニオン・カーバイドビルに戻り安藤さんを連れてブロードウェー八十六丁目、ファースト・ナショナルシティ銀行へ。小切手(3,000ドル)を現金化する。昼食はユニオン・カーバイドビルで。
午後一時ホテルに戻り、再び会場へと出かけるが、ホテルフロントにて金澤(朗)氏と世津子よりの手紙二通を受け取る。ウォルドルフ・アストリアホテルのロビーで手紙を読む。英明自家中毒、虫歯、結膜炎などの知らせ。ホテルに戻り早速返事を書く。
事務局長より電話があって、トレードセンターへ来て欲しいとのこと。早速タクシーで向かう。織田次長(通産省からの出向)と暫く話してホテルに戻る。
事務局長の勧めもあって日本へ国際電話を入れ家の様子をみる(日本時間午前七時四五分)。すでに英明も世津子も起きていた。元気な英明の声であった。ひとまず安心。食事。
事務局長の部屋に女性達を集める。協会の正式服務規定による滞在費を現金で現地支給する。東京事務局青柳氏へ報告の手紙を書く。
4月5日(火) 晴
十時半起床。十二時、階下事務局長の部屋に降りる。食事。事務局長と二人でトレードセンターまで徒歩にて。風はまだかなり冷たい。織田(次長)さんに文春と週刊新潮を返ししばらく話す。二十八丁目のみやげ物店・宮崎商会(プリンス・ジョージホテル内)に立ち寄り日本への土産品を物色。タクシーでホテルに戻る。
事務局長夫妻は知人に招かれて夕食に出かけた。いささか空腹だ、これから食事にでも出かけよう。
(結局どこでも食べる気になれず漫然と散歩をして、スーパーマーケットで菓子を買い、空腹のままホテルのロビーで夕刊N.Y. World Telegraphを隅々まで読み漁る。自室に戻りテレビドラマ「苦い勝利」(Bitter Victory)をみて午前一時三十分就寝。以上四月六日記す)
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