第二部 国際芸術見本市始末記・ニューヨーク展(5)
追記
三月十四日の使節団の到着に合わせて、われわれ事務局はリバーサイドのパ ーク・クレッセントホテルを出て、マンハッタンの中心に近いレキシントン街のサンカルロスホテル(Hotel San Carlos)に移転していた。
ホテルから会場のユニオン・カーバイドビルへは徒歩で数分。朝刊を買う目的もあって、毎朝、ウォルドルフ・アストリアホテル(Waldorf Astoria)のロビーを斜めに抜けて往く。ホテルのロビーのショップに立ち寄って朝刊や雑誌を物色するのが日課の毎日であった。
3月26日(土)(ニューヨーク)快晴
ニューヨークに来てはや一ヶ月余が経過した。フェスティバル開会後初めて迎える週末である。週末ではあるが、ユニオン・カーバイドビル(Union Carbide Building)での展示会は開いている。
ニューヨークフェスティバル終了後には辞任するという事務局長の意志はほぼ固いようだ。
・作品は売るのか売らないのか
ニューヨークを発ってシカゴを訪問中の麻生理事長から電話が入ったが、一体、展示作品は販売するのかしないのかの決定もなし得ないまま、すでに数日が経過している。次のシカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)では、展示に際しては全ての作品が完全に揃っていることを強く要求しているらしい。たとえニューヨークで買い手がついたとしても作品を買手に引き渡すことができない。そうかと言って、買主をいつまで待たせることができるのか。ニューヨークの後には、ピッツバーグ、シカゴ、サンフランシスコへの巡回展示が予定されている。たとえ、買主が待ってくれたとしても、果たして何時引渡しができるのか、引渡しが完了するまでの作品の所有権は誰にあるのか、管理責任は誰に? 万一、途中で破損、紛失が発生した場合の責任の所在は? 心配の種は尽きない。
ユニオン・カーバイドビル会場で大井領事と話す。要するに全ての作品は、シカゴ美術館へ持っていかねばならないから、ニューヨークでは注文書のみを受け取り、買主への作品引渡しは来年四月、サンフランシスコ展後とするという全く非現実的な結論になってしまった。
作品は売るべしという理事長の意向に反対する事務局長の決定もあり、他方、販売しないことを条件に無税輸入許可を取り付けてくれたアメリカ国務省との約束もあり、なかなか問題の解決は難しい。
米国税関の見解は、人間国宝の手になる工芸作品といえども関税上は雑貨と看做す。したがって課税は免れない。しかし今回は特例として、米国内で絶対に販売せず必ず再輸出することを条件に一時無税持込を許可する、というもの。しかし、当方としては、販売することが国庫補助の前提条件でもあり、見本市の名称を掲げる限り、販売の実績を極力上げなければならない。
事務局長はゴードン夫人に電話をして、注文を受けることの危険性を強調し、この問題から全面的に手を引くことを納得させる。ゴードン夫人も板ばさみとなって困惑の極みだろう!
女性達(風間、安藤、芦田)は丹下教室のスタッフグループと一緒に、夜遅くになって食事に出かけた模様。世津子へ長文の手紙を書く。(協会の現状説明、今後の見通し、帰国後の転職の可能性についても一応知らせておく。)
3月27日(日) 快晴
九時起床。開会後初めての日曜日。日曜ではあるが試みとして会場は開くことにした。神谷、木島(丹下教室)、杉本(乃村工芸)の諸氏、本日帰国するためにホテルロビーへ挨拶に来訪。事務局長と二人で応対する。皆去ってあとは地道な運営あるのみだ。
ドラッグストアで朝食。ウォルドルフ・アストリアのロビーでニューヨークタイムズを買いユニオン・カーバイドビルの展示会場へ行く。やはり米国ビジネス街の日曜日、来場者はあまり多くない。展示会場で事務局長と夫人を待つ。ジャパン・ソサエティのペッチ君としばらく話す。知的で真面目だが、米国人男性にしては女性的で優しい男。ゴードンさんの忠実なアシスタントだ。
事務局長、夫人の三人でブロードウェーに出てドラッグストアで軽い昼食。事務局長の希望によりタクシーでグリニッチビレジへ行く(これで四度目なり)。Night Owl Caféで例のビート音楽を聴き、ユニオン・カーバイドビルに戻る。
シャワーを浴びて床に就く。
3月28日(月) 快晴
戸外の風はまだ冷たい。
事務局長の部屋でパン食の朝食を済ませる。事務局長は風邪気味ゆえ、九時半に一人でユニオン・カーバイドビルの会場へ行く。会場はガードマンだけで、女性スタッフはまだ来ていなかった。ロビーのガードマン五名に、警備に対するねぎらいとしてジョニーウォーカー(黒ラベル)を一本ずつ、計五本を渡す。オープニング・レセプションのためにサントリーから特別に寄付を仰いだダルマ(サントリーオールドの愛称)は、まだ数十本も部屋に残っている。あまり酒をたしなまない事務局長や自分にとっては猫に小判。
会場では特になすべきこともない。会計の扱いについては安藤嬢に任せているが、局長と女性スタッフとのコミュニケーションも絶えて久しい。相互の信頼感を取り戻さねば。
昼食は風間さんとユニオン・カーバイド従業員用カフェテリアで済ます。夕刻まで来館者の相手などして午後五時すぎホテルに戻る。やや疲労感あり。事務局長の部屋で食事。九時半、十四階の自室(1403C)に戻る。
3月29日(火) 快晴
朝がいささかきつい。やはり疲労の蓄積か。胃の具合もあまりよくない。
ヒューズ社(会場設営工事担当)社長のノールズ氏(Mr. Knowles)と一緒にユニオン・カーバイドビル内にあるネプチューン社(トラック輸送担当)の事務所へ行き、同社の社長キルシェンバウム氏(Mr. Kirschenbaum)と副社長バトーリ氏(Mr. Batoli)と話す。会期終了後の会場撤去、再梱包、次期開催地ピッツバーグへの陸上輸送などの段取りについて打ち合わせる。値段の折り合いがなかなか難しい。
ホテル内の事務局長の部屋に戻る。スーパーマーケットへ買い物に行き、夫人に昼食を調理してもらう。午後二時~三時過ぎまで自室に戻って昼寝する。
事務局長、夫人の三人で日本総領事館を訪ねる。ジョージ島之内氏(領事)に手土産の陶器を渡してホテルに戻る。自室で経理面の整理をする。
3月30日(水) 晴
昨日に引き続き快晴である。事務局長の部屋で朝食を済ませユニオン・カーバイドビルへ。ビルの隣の理髪店で久しぶりに散髪(2ドル)をしてこざっぱりした気分。チップも渡す。事務局長、夫人の三人でブロードウェー八十六丁目まで行き、ファースト・ナショナルシティ銀行(First National City Bank)へ。四百万円の小切手を当座預金口座へ入金する。メーシー百貨店に立ち寄ってみる。店内は倉庫然としてひどいものだ。日本のデパートならば、いずれを持ってきても一流間違いなし。
夜、これまでの会計をすべて安藤嬢に移管する。
« 第二部 国際芸術見本市始末記・ニューヨーク展(4) | トップページ | 資料:ニューヨーク展 出展作家リスト »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント