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2007/01/18

プロローグ

プロローグ

  高齢化社会といわれる今日、わが国の男性の寿命は80年に近付きつつある。健康でさえあれば、せめて95歳、できれば百歳くらいまでは生きてこの世の行く末を見極めておきたいというのが実は本音であった。すでに古稀を迎え、昨今の病と闘いながら病院通いを繰り返すようになれば、人生の旅路もいよいよ最終コーナーにかかり始めていると思わなければならない。少しは身辺の整理をしておこうと、古い日記や写真を取り出してみたものの、まだ、それほど本気ではないから、懐旧の念もあり、ついあれこれと引っかかってしまって、整理は一向にはかどらない。

 古い日記といっても、40年余以前のほんの一時期の業務を中心としたメモである。乱雑に記された数冊の大学ノートには、メモに加えて折々の心情や雑駁な感想を述べており、また、当時の社会現象や世相について多少のコメントを記している。

 その日記が、当時30歳であった筆者と、日本芸術の米国巡回展示会「国際芸術見本市」(ジャパン・アート・フェスティバル・Japan Art Festival)との出会いにかかわるものである。昭和41(1966)年に始まった国際芸術見本市は、後述するようにわが国芸術の海外展開の歴史に確実にひとコマを刻んだイベントであった。かつて、このひとコマに多くの関係者の膨大なエネルギーと少なからぬ費用が投入されたことを思うとき、ましてやそれに関する総括的な記録も殆ど残されておらず、やがて人々の記憶からも永遠に消え去っていくことはなんとも忍びがたい。そんなことから、せめて此処にささやかなモニュメントを遺すべく筆をとった次第である。 

 ところで、ここ数十年来、社会のあらゆる分野で急速に国際化が進み、海外との接触が日常茶飯事になっている。今日からみれば、筆者の当時の海外体験は必ずしも特異なものではないかもしれないが、筆を執ったもう一つの理由は、今から41年前のアメリカという異文化の中での自分達の未熟な知識、経験を振り返えることにより、当時の内外の芸術やビジネス事情の一端を再現しようということである。

 ほぼ一年前に東京オリンピックを体験し、四年半後には大阪万国博覧会を控えていた頃、おっとり刀で国際舞台に繰り出して行った当時の日本人ビジネスマンの周章狼狽振りに昭和初期世代の体験を垣間見ていただければその目的の一部は達せられるものと考える。

国際芸術見本市(ジャパン・アート・フェスティバル=Japan Art Festival)の全体的概要は、第一部の「国際芸術見本市の回想」と「あとがき」で、各地のアート・フェスティバルの具体的かつ詳細な経緯、手順、顛末については、主として古い日記にもとづいて第二部の「国際芸術見本市始末記=古い日記から」として記した。

 きわめて短い期間であるにもかかわらず、どういうわけか古い日記には所々に欠落部分がある。また、記した当時の記憶も薄れがちになり、なかには書いた本人自身にも意味不明の部分もあったが、41年後の今日の視点から多少の追記を施すことによりその部分を補った。

*国際芸術見本市の回想①、②、③へは下記サイトよりお入りください。

http://gastrocamera.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-c1cb.html

 

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